思い通りにならない思いは・・・

思い通りにならないことに

 嫌になっていませんか

  

忙しい日常に追われて

効率よくしようと思っても

なかなか思い通りにならず

 イライラすることもあるだろう

 

自分の時間を作りたいとか

 

もっとゆっくりと過ごせる時間がほしいとかと

 

思っていることもあるだろう

 

 

そんな思い通りにならないほとんどの原因は

自分以外がもたらされるものと思っているかもしれない

 

「あの人が○○しなければいいのに・・・」

 

「これくらいのことをどうしてできないの・・・」

 

「もっと気づかってくれてもいいのに・・・」

 

「ぐずぐずせずにさっさとすればいいのに」

 

「なんでこんなんことまで自分がやらないといけないの」など

 

思い通りにならない不満の原因は人のせいにするのが

自然なことだろう

 

実際そうかもしれない

 

それでは

 

自分自身が人からそう思われていると

思うことはないですか?

 

誰もが自分はできた人間ではないからと

普通は 謙遜するもの

 

完璧な人間なんて存在しないし

誰しも苦手な部分があるはず

 

しかし

思い通りにならないときには

自分はこんなに気をつかっているのに

こんなに頑張っているのに

自分が普通にやれることは人も普通にできると思ってしまう

 

 つまり

自分のできる部分を基準に人を評価する

 

一方で

自分ができない苦手な部分となると

真逆の基準になってしまう

 

失敗や間違い

悪い性格

悪いクセを指摘されれば

自己正当化したり被害者意識を持ってしまう

 

「あの人は才能があるから」とか

 

「恵まれているから」とか

 

自分はそんなできた人間ではないからというふうに・・・

 

分かりますか

 

人は無自覚に「できた人間」と「できない人間」を使い分けている

 

なぜだろうか

 

自分の尊厳を守るため

 

シンプルに

自分の心を安定させるため

 

使い分けていることを無自覚だから気づくこともない

 

人は湧く感情によって

不快な情動をコントロールするために

無自覚に行動や言動を変えている

 

しかし

それは日々幸福を感じるための

良い人間関係の維持に亀裂をもたらす原因にもなり得る

 

それではどうやったら

そういう思い通りにならない思いをなくすことができるのか

 

 ひとつ考えてみよう

 

人には理性と感情(心)がある

 

そして

理性と感情の力関係は心理学で

象使い(理性)と象(感情)の関係と言われるくらい

圧倒的に感情の力が強い

ということは知っている人も多いだろう

 

思い通りにならないときに人に求めているものは何ですか

 

人に合理的、 効率的、常識的(自分基準)な理性を求めている

 

一方で

苦手な部分がある自分に求めているのは何ですか

 

自分の感情、気持ちの理解を求めている

 

人間はロボットではないから

気持ちが入らないものに

合理的、効率的、常識的に動けないもの

 

つまり

 

 人間は理屈通りに「動く」という前提で「人」を評価判断し、

人間は理屈通りに「動かない」という前提で「自分」を評価判断している

 

自分も人も感情がある人間

 

自分に心を求めるなら

同様に相手のその時の心を理解しなければ

自分の思いが通じることはない

 

例えば

人に対して「普通はこうするでしょう」という

思いになることもあるだろう

 

その「普通」という基準は

合理的理性の判断から導かれるもの

 

相手が苦手なことだ ったり

自尊心を傷つけられて感情的になっているのであれば

普通を求めても聞く耳を持つことも理解されることもない

 

自分にとって普通なことは

その人にとっての苦手であり

苦痛なことであれば何かと理由をつけてやりたがらないもの

 

だから

まずその人の気持ちを理解しようとしていることを伝えること

 

そして

その人から共感を得られれば

自分の思いに聞く耳を立ててくれる

 

そこから

相手もやろうという意欲が湧く

 

しかし

今度は次の壁がある

 

実際にやってもらえたとしても

人には得意不得意や基準、習慣、理解力は違うから

必ずしも思い通りにはならない

 

自分も感情的になることもあるし、

苦手な部分もあるので自制と寛容さを持って

人に接することができるようになれるかどうかが

信頼を得ることと良い関係性を維持するためには大切なこと

 

だから

相手に対して100%を求めないこと

 

それが思いの10%しかならなかったとしても

その人を認めること

 

認めることは

その人の意欲の持続につながる

 

意欲の持続は粘り強く試行錯誤しながら

自分とその人の心を育て

少しずつ 理解しあえるようになる

 

とい うふうに・・・

 

心の相互理解と行為の時間を要したステップを粘り強く

踏んでいくこと

 

相手だけでなく

あなた自身も心を育てることが必要だということ

 

そのステップは、

信頼関係の築くことと同様に緩やかな階段を設定して

一歩一歩近づいていくことを意味する

 

そう考えるなら

自分の視点、理性で相手や状況を理解するだけでは

その思いは拭えることはないだろう

 

思い通りにならないことは

日常が忙しくなればなるほど当たり前のようにある

 

そして

そもそも人は思い通りに動かすものでも動くものでもない

 

自分と同じように人は自らの意思で動くもの

 

それを嫌々ながら仕方なくやるのか

前向きに気持ちよくやるのか

当たり前のようにやるのか(習慣となっているか)の違いがあるだけ

 

加えて

思い通りにしようとすることは

相手に「変われ」と言っているようなもの

 

人はよりよく変わることはできるが

すぐに変わることはできない

 

自分が変わることがとても難しいことは理解できるはず

 

その難しいことを相手に求めている

 

自分の視点を「自制」して心も含めた理解で捉え直さない限り

その思いをなくすことはできない

 

つまり

思い通りにならないことに嫌になることは

あなた自身の心の問題だということ

 

これが自覚できるようになれば

心を楽に過ごせるようになるだろう

 

あなた次第・・・

 

意識と心を使って

少しずつ自分を変えていこう