理屈とともに「その時の互いの感情」を理解しよう

自分の思いが伝わらないことに納得できませんか?

 

人間関係において、一番難しいことは

「人を理解すること」だとは自分自身は思っている

 

誰もが人のことは理解していると

思っているかもしれないが・・・

 

特に身近な人のことは理解できていると

思っていることだろう

 

それが

家族であったり

友達だったり

職場の人だったり

 

その一方で

日常で自分のことを理解されていないことを

感じることはないだろうか

 

誰もが人を理解することはできるのに

なぜ理解されないことがあるのだろう

 

相手が間違っているとか

おかしいとか

非常識だからだろうか

 

ということは

相手が自分の考えを受け入れてもらえないのが

おかしいという考えとなる

 

誰もが日常で起こり得る出来事

(行為や言動なども含む)によって

人間不信に陥ったり

人に合わせたり

我慢したり

傷ついたり

時には

溜めたものが爆発したり

感情的になったりすることがあるだろう

 

しかし

理解することが本当にできているのであれば

そういう気持ちにならずに理解もされているはず

 

つまり

理解されていないと思うのであれば

本当は相手を理解することができていないのではと

考えられないだろうか

 

ところで

ハーバード大学が行った「成人発達研究」を

知っているだろうか

 

これは1939年からスタートした研究で

約80年間にわたって

724人の人生を記録し続けたもので

全員が10代のころから調査を始めたもの

 

参加者の行く末は幅広く

弁護士や医者になった人

サラリーマンや工場労働者になった人

ホームレスになった人まで様々

 

彼らの多様な人生をすべてパッケージ化したうえで

「人間の幸福にとって最も大事なものとは?」の答えを

数字で割り出している

 

そこで明らかになったことは

私たちの体を健康にし、心を幸福にしてくれるのは

富でも名声でもがむしゃらに働く事でもなく

「良い人間関係」であったということ

 

しかし

何より「良い人間関係」が幸福をもたらすはずなのに

人間関係の不和によって

ストレスを溜めて不幸になっていくのも事実

 

良い人間関係を維持するための前提は何が必要だろうか

 

日々を幸福に暮らせるように一つ考えてみよう

 

まず

自分で自分を観察していこう

(ちなみに専門用語で「メタ認知」とよぶ)

 

例えば

あなたは自分の間違いを素直に認めて謝りますか

 

それとも自分の間違いを認めず言い訳ばかりしますか

 

と尋ねられたらどちらか一方を答えるはず

 

実はその時の状況と関係性によるが

どちらの自分にもなり得る

 

自分のことを振り返れば

お分かりのことだろうが

 

たいていが感情的に(心が不安定に)なれば

間違いを認めるより、自己正当化する

 

一方で

その人自身の考え方や相手にもよるが

心が満たされていれば

素直に謝ることができる

 

間違いを認めないことが

良い、悪いと言いたいわけではない

 

その時その時に違う反応をしている自分に気づけるかどうか

 

つまり

一貫性を保てていない自分に気づくかどうか

 

なぜこの話をするかと言えば

その時の反応の仕方によって

人に与える影響が変わってくるから

 

日々

人に良い影響を与えられるように努めていますか

 

「親の背中を見て子は育つ」と言うが

良い人間関係の土台はまさに

「自分の思いより行為で示せ」だ

 

それが一方向でも構わない

 

大事なことは一貫性があること

 

例えば

どんなに言いたいことがあっても

言い訳せず自分とって不都合になっても

素直に謝る行為を示せば

あなたはどう感じるだろうか

 

許せる気持ちになったり

何とかその人を助けようと思いませんか

 

他にも

日常で自分のダメさ加減を認めながらも

何とか克服し続けている人に対して何か感じることはありませんか

 

「自分も、私も、俺もやらなきゃ」って思いませんか

 

勘違いしないようにしてほしいことは

良い影響を与えるとは

自分の能力の高さを示すことではない

 

他にもいろいろあるが一つだけ言えば

相手も自分も本当はそうしたほうがいいと思っているのに

感情が邪魔してなかなかできない行為を示すこと

 

特に自分が不快な状況に陥ったときにどんな行為を示すか

 

その一貫性ある行為以上に説得力を持つものはない

 

言葉を必要としない

 

その一貫性を保つために最も必要なことは

「良い心」を維持できるように努めること

 

つまり生涯

心をを育て続けること

 

なぜなら

日常で自分の行為に最も影響を与えるのは

その時の心の状態(感情)だから

 

日常では理性より感情が優位なため

どんな感情を抱くかによって

行為の示し方や理性の使い方が良くも悪くも変わってくる

(この意味分かりますか)                 

 

大事なことは人をコントロールしないこと

 

理解されないという思いは

人をコントロールしようとする思いと同じこと

 

もっと言えば

相手を自分の考えに変えようとしていることと同じ

 

考えてみよう

 

人を変えることはより難しいが

自分で自分を変えることも難しいことは分かることだろう

 

それを相手に求めているようなもの

 

その難しさゆえに

伝わらない不快な思いを理性で抑えたり

あるいは

理解ある人に共感してもらって心を安定させようとしようとする

 

このこと自体は自然なことだが

同じ思いで違う結果をくり返し望んでいる自分に気づこう

 

そんな思いを繰り返しても

相手が変わることはないし

自分の思いが伝わることもない

 

そういう思いをするくらいなら

心を楽にするために

理解されないことが当たり前という前提で

 

どうやったら気持ちよく自分の思いを受け入れてくれるかを考えること

 

つまり

自分の見方や考え方を変えてみること

 

加えて

相手に変わってほしいと望むなら

相手だけを変えようとするのではなく

自分も一緒になって変わろうとすること

 

たいていは

相手も自分に対する思いもあるはずだから

 

自分の思いを理解してほしい相手とともに

よりよくなろうと取り組むこと

 

そのための相応のプロセスを歩むこと

 

人は変われるが

急には変われないから

 

何より誰もが

人の理性と脆弱な人間性という

自己責任だけに任せていることが問題

 

自分の弱さを理解していても

なかなかそれを克服しようとしないことを理解できれば

相手に対しても「人のことは言えない」という思いになりませんか

 

自分のことを棚上げしていることに気づこう

 

理屈通りに動かないのが人間だから

 

理屈道理に動く人間として

相手を捉える無自覚な感覚こそ意識して止めよう

 

理解することは

理屈とともにその時の感情を理解しよう

 

要は

自分の心と相手の心を

大切に扱うこと