刺激に対する反応と対処の仕方を自分で把握する

あくまでも

説得力のない変人である自身の考え方なので

それをどう扱うかはあなたに委ねます

 

否定も肯定も論外も

あなたの思考のもとで評価判断しください

 

ここから

 

しっかりと学習し認識と自覚のもとで

今までの内容について思考して

自分の意見を持っておくと

迫られている選択が

よりよい選択できるようになっていくと思います

 

典型は

ワクチンは打てなくてはいけないのかと

心では不安を持ちながらも

周りに流されて

あるいは

さも当たり前でしょうという圧力に負けて

自分の意思と反した選択と行動をとらされてします、とか

 

現実にはどちらが正しいかは

報道が明らかに非対称なものが多いので

(同じ土俵に乗らない乗らせないところでの発言が多い)

評価判断は当然、多数派が常識として捉えられやすい

 

さらには

信頼がある(?)という前提で

公的機関や権威のある人の発言に影響される

 

といっても

ワクチンを打つ打たないは

自分の意思決定で決める感覚を持てるようになること

 

あえて「感覚」と書いている

 

それはいつでも

合理的な判断は「心」あってのものだから

 

そのために

それまでにしっかりと

どうして打たなくていいかということを

意見として持っておけば

心ある行為として

頭ごなしに声高に反論することも必要なく

相手の意見を尊重しつつも

しっかりと自分の意見を述べることができる

 

だから

他の人に聞かれたら答えるくらいでいいし

自分の意見が正しいとして

相手にマウントを取る必要もない

(押し付ける必要もない)

 

これはワクチンに限らず

何でも通じること

 

拒絶する理由が自分のなかで

心から明確でなければ

周りに染まるのが人間のサガだから

(周りから嫌われたくないからとか)

 

ということで

日頃から

自分事として関心を持ってないものが

自分事となってから考えるから

多数派の意見に流された選択をしてしまうのであって

大分ましに「よりよい選択(心ある選択)」ができるようになる

 

そして

その意見を前もって持っておくことは

自然な流れとして

わざわざ政治活動することなく

日常で自然と政治に関与していることになる

 

わざわざ

周りと政治の議論をする必要もない

 

日常でやることは

あなたの今の役割を果たせるように

心ある思考と実行を維持すること

 

日常の人と接するなかで

自分の考えを押し通そうとする人

自分の考えが正しいとしか思わない人とも

接する機会があるだろう

 

どんなに不合理だろうと理解してもらえないことだろうと

その不快な刺激になどの周りからの刺激

あるいは

あなた自身からの思考や感情から来る刺激

それらに対して

あなた自身の理性、意識がどう反応し

どう対応、対処しているかを

自分自身で自覚できるようになるか

 

これは自身としては

最も大切にしている

人には全く見えない、分からない日常作業

 

実践でもあり

訓練でもあり

そして

自分のエゴに気づく訓練でもある

 

人は通常

周りの刺激に向けて

何か理由をつけて自分の心を安定させようとする

 

それを意識づけとして

自分の内面に向けてることができるか

 

当然

苦痛を感じるから

またそれはステップを踏む必要もある

 

要は周りの刺激に向けることは

人をコントロールしようとしているのと同じと考える

(もちろん実際にはそんな自覚はないと思う)

 

相手に対してどう思っても

それが自分の思いが伝わらないことは

いくらでも経験があるはず

 

あくまで

コントロールできるのは

自分自身だけ

 

といっても

それでも自分をコントロールすることも難しいことは

いくらでも日常で経験しているはず

 

しかし

繰り返すが

コントロールできるのは自分自身だけ

 

自分をコントロールすることが難しいのは

刺激に対する「反応」と「対処」の仕方に問題があるということ

 

それは

相手に向けるような反応と対処の仕方に

無自覚にしているということ

 

だから

あなたの意識づけは

ある刺激に対して

どんな「反応」して

どんな「思考」になって

どんな「対応、対処」をしているかに向けるようにする必要がある

 

そこには自己受容も大切な要素となるが

心が不安定なときにはこの作業はとても難しい

 

なぜ

こんな細かいことを伝えるかといえば

7つの習慣」でいうところの

私的成功は公的成功に先立つ

 

つまりは

インサイド・アウト

 

自分自身の内面を変えることから始めるということであり

自分自身の根本的なパラダイム、人格、動機などを

変えることから始める

 

インサイド・アウトの考え方は

他人との約束を守る前に

自分自身に対する約束をし

その約束を守る必要がある

 

自分自身を改善せずに

他の人との関係を改善しようとすることは

意味のないことと考えられる考え方になるかどうか

 

才能が認められるという二次的な成功を望んでいるなら

まず人格と能力を向上させるという

一次的な成功に焦点を合わせる

 

ここで留意することは

一次的な成功は自分の能力の一つの面だけでなく

人格というもう一つの面も同時に向上させるということ

 

能力にばかり目がいけばどうなりますか

 

結果にばかりに目がいけばどうなりますか

 

楽なほうばかり目がいけばどうなりますか

 

それは

動機づけが外か内かどっちに向いているか

 

実体経済という実経験を経ず

手っ取り早い金融経済に意味はありますか

 

頭を使わず

体を動かさないことばかりすれば

人の能力は退化することはあっても

向上することはありますか

 

何より

人生を歩むと言うことは

そもそも人間は望む環境にいることはほとんどないから

発展途上のなかでいろんな経験を経たうえで

修正力、回復力を高めていくことでしか

よりよくなることはないだろう

 

自身としては

お金を稼ぐこと

そのために自分の能力を高めること

そして仕事ができることは「尊い」ことだと

心からそう思えるように自分を自分で教育してきた

 

そのプロセスのなかで

良きも悪ききもその時々に対して

どう反応してどう対処しているかを自覚して

修正を施し続けている

 

たとえば

お金を稼ぐことだけに焦点を当てれば

内面の変化に気づくことはない

 

お金を稼ぐことと同時に自分の内面が

どう変わっていっているかを自覚しないと

究極は自分の欲求のままに、自己重要感を満たすために

自分の考え方がすべてというような考え方のようになってしまう

 

結果にこだわることが問題ではなく

その結果によってもたらされる

自分の内面の変化にいち早く気づけるかどうか

 

例えば

結果が出れば自分の考え方すべてとなるし

結果が出なければ

人のせいや環境のせいにしたり

さらには周りを巻き込んででも

ギャンブル的要素に手を出しやすくなる

 

それが

今まで培ってきた

よりよい自分というもの(人間性)を失わせてしまう

 

よりよくしていくための

 

プロセスを歩むこと

 

段階を踏むこと

 

経験を積むこと

 

ここに焦点が当たらなくなる

 

そうなると学習する焦点もどこに向くだろうか

 

ある本に書いてあったことを

ひとつ取り上げてみると

 

直感力を磨く方法として

 

これからの時代はAIの進化で物事が進むスピードは

どんどん速くなっていく

 

そんななかでいかに素早く決断、判断するかがカギとなる

 

直感力を司るのは前頭葉

 

そして判断材料を提供するのが側頭葉

 

この二つの動きと連携を強化することで直感力は磨かれる

 

その強化する方法は

 

ひとつは経験を積み、知識を蓄える

 

直感的に判断する際の材料になるのは記憶だ

いかにたくさんの判断材料をもっているかが大事になる

だからこそ

経験と知識を蓄えよう

 

二つは時間をかけずに決断する訓練をする

 

判断はスピーディーでなければならない

 

日頃から素早く決断するように心がけよう

 

たとえば囲碁や将棋など

考える時間に限りがあるゲームを趣味にするのもいい

 

三つは安易に人に同調しない

 

最初に発言した人の意見に引きずられる付和雷同型の人が多い

 

しかし

直感力を磨くには自分の頭で考えて判断する

「批判的思考」が不可欠だ

 

安易な同調はやめよう

 

引用はここまで

 

この三つともに

日頃から意識してできるなら

直感力が磨かれるだろう

 

さて

ここで一番やりやすいのはどれですか

 

お分かりだろうが

二つの時間をかけずに決断する訓練をすることを

あなたはどう解釈しましたか

 

とても無自覚な人間の作業として

やりやすくないですか

 

経験を積み知識を蓄えること

安易に人に同調しないこと

 

これらを経ずして

二つ目ばかりすれば、対処の仕方が

ギャンブル的な考え方、ゼロ百思考をしているだけにすぎなくなる

 

だいたい

一つ目と三つ目はお分かりだろうが

一番省こうとするのが人間の無自覚な反応と対処の仕方

 

学習する方法でさえ

肝心なところを省いてしまう

 

そこに何が不足しているかを考えることもない

 

一番必要なことはだいたい

頭と心に負荷がかかった地道なことだから

 

あなたのもともと備わっているものと

それまで培ったものが何かで

楽にできるものもあるし

苦痛を感じることもある

 

その感情的な反応のままに従っていることが

よりよくしていくプロセスを避けてしまう

 

常にそんな反応や対処に気づかないことが問題

 

一番やらなければいけないことは

自ら心と頭に負荷をかけること

 

それがあっての

二つ目の決断力を早める訓練が活きる

 

繰り返し言いたいことは

何を学ぶか

誰に学ぶか

 

よりも

 

あなたの対処と反応である

学び方を把握して

よりよくなるための学び方を学ぶこと

 

それがなければ

不快な人間関係も適応することもできないし

世の中に対する見方も評価も

客観的だと思うだけの

自分視点(知っている範囲内)での

エゴ的思考で終わってしまうだろう