それって、プロセス経てますか?

 誰もが生まれたときから

望む環境にいられることはめったにないことだろう

 

それでも

誰もが羨む幸福な環境にいながら

人生をダメにする人もいれば

環境が悪くてもそこから這い上がって

羨む幸福な人生を送る人もいる

 

その違いは何だと思いますか?

 

運?

 

能力?

 

人生を歩むうえで

何をもって幸福としますか

 

そして

何が必要か

 

ひとつ考えてみよう

 

大数の法則」をご存知だろうか

 

たいてい

人は自分の成功体験を「少数の法則」で捉ている

 

ひとつ、ふたつの成功体験を

一般化(みんなに通じるもの、正しいこと)する

 

もちろん

普遍的なもの、原則てきなものに基づいたものは変わることはないが・・・

 

しかし

それを偶然か実力かという原因を考えることあるだろうか

 

長い人生においてはサイコロを振るのと同じ

 

5回振って1の目が連続して5回も出ることもあるが

1000回、2000回と回数が多くなれば多くなるほど

確率どおりの1/6となる

 

ちなみにこれを統計学で「平均への回帰」という

 

これと同じで

自分の成功体験が人生全般に通じるものだとは限らないということ

 

当たり前のように自分自身は年月が経てば

想定外のことも含めて「できること」と「できないこと」も変化する

 

それとは関係なく

環境自体も否応なく変化していく

 

運が良くてもそれに固執すれば

その運もどこかで悪くなっていくということ

 

それに人生そのものは直線的に右肩上がりに

自分にとって都合よくいくことばかりではない

 

人間には感情によって行動する限り

人生そのものは「ぐにゃぐにゃで紆余曲折」というのが自然な人生

 

もちろん

人によって程度の差はある

 

いいときもあれば、悪いときもあるし

苦痛の程度が我慢できるものであればその環境に慣れるもの

 

そして

経験のうえで自分にとっての楽しみも見つけるもの

 

そういう経験(快楽と苦痛という感情)の総計で

たいていは幸福な人生を図って歩んでいく

 

しかし

そのような考え方なら幸福が続けばいいが

運悪く不幸で苦痛の連続になった場合はどうしますか

 

そういったときは

悲観的な捉え方、考え方で何事も捉えようとしないだろうか

 

その幸福な人生に対する捉え方自体を変えてみよう

 

ここでヒントになるのが

古代ギリシャ哲学者アリストテレスの考え方

 

アリストテレスは「幸福」という言葉を

快楽を最大にして苦痛を最小にすることでは使っていない

 

「道徳的生活を目指すものが幸福であるなら

  快楽と苦痛をそれぞれ適正なものについて感じることだ

  もし闘犬を観戦して快楽を感じるならば

  それは克服すべき悪徳であり、幸福の真の源ではないと考えられる

  道徳的にすぐれた人は、快楽と苦痛を集計するものではなく

  それらを一つの線上に並べ   崇高なものを喜び

  卑劣なものを苦痛に感じるものなのだ

  幸福とは心の状態ではなく人間のあり方であり

  美徳に一致する魂の活動なのである」と述べている

 

自分なりの解釈で言えば

そのときに湧く感情(苦痛や快楽)に関係なく

自分が大切にしている価値観に沿った行動を維持できるかどうか

 

たとえば

自分の能力を向上させることを大切にしているなら

より少ない努力で向上しようと考えるのではなく

思い通りにならないときがあっても時間がかかってもあきらめないこと

思い通りになっても調子に乗らず

さらなる向上を目指すこと

 

或いは

日々を楽しむことが大切なであれば

人や自分の原因に関係なく

不快な感情で振り回されないようにすること

 

たとえば

人の目や声を気にして

それに合わそうとすればするほど不幸になる

 

といっても我を通すことでもなく

お互いがお互いを尊重できる関係性を維持すること

 

不都合で不快な状況でも

健全な心を維持して物事を捉えて適応していくこと

 

人間関係をつなぐ「信頼」も心豊かな幸福も

何より望む結果、姿、形以上に

そこまで至る紆余曲折のプロセスがあってのもの

 

プロセスは過去、現在、未来をつなげているものであり

望む結果は一時のものにフォーカスすることの違いを

よく考えてみよう

 

一時の結果で一生が保証されることはないことは

理解できることだろう

 

どんなに大きな財産を得たとしてもである

(この意味わかりますか)

 

私自身のひとつの考え方として

「プロセスなきもの脆弱この上ない」と思っている

 

つまり

プロセスなくして得たものは

いろんな意味において

失うことも、なくすことも早いということ

 

環境の変化に適応するために

必要不可欠な信頼関係の土台も築かれない

応用力、対応力、柔軟性が身につかないから

 

いちばんの問題は健全な心が育たないこと

 

そこに至るプロセスによって自分の心も育つもの

(あきらめない心、自制心などなど)

 

望む姿、形、結果の維持は

おそらくそう簡単に築けるものではないものだろう

 

それ相応に代償が必要であり

自分だけでどうにもならないことも多く

人の協力も必要だから

 

自分にとっての幸福な人生、正しい人生は

正しいことを選択していくことではなく

健全な心の維持に努め

人の協力を得ながら

「思考」錯誤と「試行」錯誤というプロセスによって

よりよい方向へ導き築かれるものだと思う

 

あなたは

プロセスを経た価値あるものありますか?

 

あるいは

築いていますか?