№4320 安定した共同体のなかで人間性を磨く環境づくり

前回のつづき

 

孔子には「門弟三千人」と呼ばれるほど

多くの弟子がいました

 

彼らは孔子の死後、各地で活躍することになり

その流れは「儒」と呼ばれるようになりました

 

しかし、孔子存命中からして

孔子が礼の復興にこだわった理由を

理解できた者が少なかったように

儒家は必ずしも一枚岩ではなく

政策に注力した人

儀礼に没頭した人

文学に傾倒した人

言論に明け暮れた人など

さまざまな系統に分かれていきます

 

劣悪な者になると祖先崇拝の信仰を利用して

葬儀屋として各地で金稼ぎを行っていたとも言われます

 

孔子の学問が広がったために起きた分派は

次第に粗雑な知識や技術の切り売りに堕落し

その反発から薄葬を説く墨家思想

仁や礼を批判する老荘思想などを誕生させました

 

あるいは

戦争の性格や運用法について整理した兵家

 

自然の運行が人間や社会に与える影響関係を

解き明かした陰陽家

 

地政学と外交の技術を磨いた縦横家

 

言語と論理を分析した名家

 

商業を抑制し農業の復興を図る農家など

 

よりプラグマティックな思想も登場します

 

思想の分化や乱立は

「百家争鳴」という局面を生みましたが

そうしている間にも功利は日々人間を支配し

さらなる利益の奪い合いへと突入しました

 

そうした中で戦国時代も半ばになって

現れたのが孟子(372?~前289?)です

 

孔子の弟子で「孝」の徳に優れていた曾子(生没年未詳)

 

曾子(そうし)の弟子で孔子の孫でもあった子思(生没年未詳)

 

そして子思(しし)の弟子という学統に属する孟子は

孔子の理想を実現すべく各地を遊説して回りました

 

孟子は

相手の議論を自分の議論に吸収して利用するという

能力が異常に高い論客でした

 

したがって相手は

自分の議論にそって話が進んでいたはずなのに

いつの間にか自分の議論不能に陥っています

 

こうした合気道のような弁論術によって

孟子は向かうところ敵なしの論客として名を馳せました

 

それはたとえば

利益を最大限に得たければ

礼の復興を目指すのが最も近道である

という論法によく表れています

 

孟子は功利の売りである利益の最大化を横取りし

功利を無効化してしまおうとしました

 

その手始めとして孟子は

王に面会すると彼らが建造した宮殿や庭園

寵愛する美女たちをほめたたえます

 

儒家が来ると聞いて

どうせ礼の復興でも説くのだろうと思っていた王は意外に思い

孟子に興味を持ちます

 

そこで孟子は

それらをもっと楽しむには

他人からの妬み嫉み(ねたみそねみ)や横取りに不安がるよりも

みんなで楽しんで賞賛された方がもっと楽しいと説きます

 

庭園を開放して山菜の採集や狩猟ができるようにすれば

みんなが王の庭園をほめそやすし

国中の独身者が結婚できるように

収入を安定させてやれば

みんなが王の夫婦を祝福して

ちやほやされるのでこんなに楽しいことはない

 

要するに国民の資産が

そのまま国家の資産になるようにするのが良い、と説きます

 

そして「人間は安定した収入がなければ

人のことを思いやる道徳心など持てないのです」と畳みかけ

王にとっての最大の利益が国民からの支持にあること

支持を得るためには国民生活を豊かにして

その道徳心を養うべきことを説きました

 

こうして王は

知らず識らずのうちに孟子の論法にはまっていきました

 

孟子の議論はごもっともですが

では国民生活を安定して豊かにするためには

一体どうすれば良いのでしょうか

 

孟子は具体的な方法として

周王朝で行われていた「井田法(せいでんほう)」の実施を

提案します

 

井田法とは

土地を「井」の字のように9等分して

真ん中の1区画を公田として国家が確保し

残りの8区画を8世帯の国民に分配するという土地整理法です

 

土地を与えられた8世帯は

みずからの土地で穀物や桑などを植え

そこで得た収入を無課税で丸取りできます

 

そのかわり8世帯共同で1つの公田を管理し

そこから得られた収入を税として納入するというものでした

 

このように土地を国民に分配して

収入を得る機会を与えることで

国民は生活に必要な最低限の食料、衣服を獲得し

それを元手にさらに資産を増やしていくことも可能になります

 

ここで重要なのは

国民に現物支給するのではなく

生産手段を提供するということにあります

 

現物支給では

国民の生産意欲を刺激することはできませんが

収益機会の提供であれば

頑張った分だけ収入が上がるので

自然と国民をやる気にさせます

 

また、生産の手段を持たない貧困な人々に

土地を分配することで

放置されている未開拓地を開墾しつつ

公田を通じた税収の母数を上げることも可能となります

 

井田法はその後

理想の土地整理法として

中世の唐王朝に至るまで形を変えて実施され

日本にもその影響は及んで

江戸時代の地方再生事業まで応用されます

 

しかし、孟子が問題にしたのは必ずしも

農業生産力だけではありませんでした

 

孟子の目的は

王の庭園造営に賛成したことにも見られるように

むしろ標準的な国民の生活モデル

(現在で言う「中間層」の生活モデル)を決め

先行投資で収益機会を提供し続けることでした

 

孟子は、最低水準を確保した国民が生産に励めば

その収人によって家族を養うことが可能となり

貧困の最初の犠牲となる老人や子供が保護されると説きます

 

また、収人がないために

結婚できない若者たちを救済することになるので

人口増加も期待できるし

独居老人や母子家庭

身体障害者を共同体で助けるような社会保障が

出現するとも言いました

 

何より安定した共同体ができれば

労働力と経済力を同時に獲得することができると言って

王の功利心をくすぐることも忘れませんでした

 

井田法は一見すると復古のように見えますが

孟子の議論はそのように単純ではありません

 

何故なら都市に人口が集中し

貧富の格差が開いて失業者があふれている現状では

むしろ都市には失業者を吸収する余力はなく

地方への人口環流が合理的な選択であると踏んでいたからです

 

さらに孟子は

相場を利用した収益によって

一部の商人が経済を独占すると

税収は上がっても公正な商取引が破綻して

経済が衰退すると猛批判したり

減税による一時的な税収の低下があっても

国民所得上昇による長期的な税収の上昇をはかるべきだと

訴えたりしました

 

つまり

井田法とは国家の産業構造をリバランスするための方便でした

 

こうして孟子は国民の資産

すなわち「民富」こそが国力であり

税収の多さ、すなわち「国富」は国力ではないという

論陣を張りました

 

孟子の議論には

経済学者の趣があります

 

今回はここまで

 

今まさに日本が何をすればいいかを述べています

 

そのまま孟子の理屈を

現代の日本に当てはめれば

いかに真逆のことを政府がやっているかが分かる

 

それは

やりたい放題で

国民の資産をずっと奪うことばかり

国民のためではないということもわかる

 

それは一部の限られた人のためにしかなっていないこともわかる

 

何より

安定した共同体は

「人としての基準」を失わない環境のなかで

身近な協力関係という

コミュニティの集合体が国家を形成する

 

人間は安定した収入がなければ

人のことを思いやる道徳心を持たせる環境にするのが

政府の大きな役目であり

政治家たちの役目であり

官僚たちの役目である

 

そもそも

そんな人たちが

見せかけの道徳心でやるやるというだけ

 

功利主義は

一見、国民の欲を満たすに

国民を動かす力にはなり得る

 

しかしそれは

欲の肥大化にたいてい結びつく

 

たいてい

格差社会が生まれる

 

お互いのよりよい協力関係という心のつながりというより

互いの優位性によって奪い合う関係という欲のつながりとなる

 

社会は運命共同体であって

マイノリティーの特権の人の虚構のためではない

 

人間性を磨き続けることは

共同体を安定させる

 

欲の追求(功利主義、マネー主義)

共同体を不安定にさせる

 

この違いは

あなたや私の「なか」を

無自覚に感情のままに反応するか

それとも

自覚して心と意識を自分のものとして

よりよく使おうとする姿勢を持っているか

 

人のコントロールを放棄する姿勢なら

心を満たすことができていれば

人間の功利心をくすぐる必要もない

 

社会全体が

関係性のなかで

一緒によりよく物事を成し遂げることに

喜びや遣り甲斐を感じられているから

 

つまりは

日常で内的動機づけが強化されるから

自身の言葉でいえば

しっかりと心が満たされているから

功利心という欲を満たすことがどうでもよくなる

 

それがもっとも望ましいこと

№4319 理想のリーダー像を社会は望むべきか?

前回のつづき

 

孔子が礼の復興にこだわった理由は

ばらばらの「個人」によって構成される社会の脆弱さを

知っていたからでした

 

人々が規範に縛られて

価値観を表現できない社会は

確かに息苦しいものです

 

かといって

親が自分の常識ばかり押しつけたり

上司が自分の業績ばかり追求したり

子供が場所も考えずに自己主張したり

部下が勝手な約束をしてきたりすれば

当然お互いをつぶしあいます

 

それ以前に

自分のことしか考えていない様子が

透けて見えるのは生理的に不快ですから

憎悪をいだいて敵対するのは仕方のないことです

 

裏返せば

規範から解放されて「個人」を出せば出すほど

かえって身近な人に生の感情をぶつけてよりかかり

人間同士の距離が不必要に接近して

断絶を発生させるのです

 

孔子は政治で絶対におさえるべき要点を聞かれて

「君は君らしく、臣は臣らしく、父は父らしく、子は子らしく」

という言葉を残しています

 

これはそれぞれが礼に従うことで

はじめて役割分担によって社会を繁栄させつつ

棲み分けの快適さが発生することを表しています

 

政治に参加して礼の復興ができないことを悟った孔子は

徳が礼の母胎であることに着目し

徳のある人間を育てることで

その人たちが礼を復興することに賭けようとします

 

具体的には『詩経』や『書経』などを何度も読み

礼の学習に励むことで

古の偉大な王や政治家たち

または市井に生きる人々の言動をトレースし

その人物の言動の奥にある「心」を

腹に落とし込んでいくことが1

 

そして

家庭や職場で礼になりきり

身の回りの他者をも巻き込んで

礼を再生していく実践が1

 

この学習と実践が合わさることで

人の気持ちに鋭敏な感性を磨き

また礼を作り上げる政治力を鍛え

強靱な「個」を確立するのです

 

そうすると

仕事や家庭の人間関係がスムーズとなり

役割分担によって効率の良い成果を得ることができます

 

孔子は

全ての徳を備えた完全無欠な徳を「仁」と呼び

全ての存在を包み込んで

そのものが持つ長所を最大限に生かす

という意味を与えます

 

仁を備えた聖人こそ礼を復興することができるのです

 

ただ、聖人はそうそういないので

仁ほどではないものの

部分的に徳を身につけ

自律した「個」を確立した人を「君子」と呼び

君子による礼の復興を勧めました

 

君子という言葉はもともと世襲の支配階級を指す言葉でしたが

孔子によってそれは徳を身につけた人の呼称となったのです

 

これはとても重要なことで

聖人はもともと王の資質であり

君子は階級を示すものだったのが

学間によって誰でもなれるし

なるべきだと言ったことになります

 

つまり

人の上に立つべき人は生まれつきではなく

徳を身につけて

自律した「個」を確立した人でなければならないと

主張したことになるのです

 

こうしてみると孔子はむしろ

礼を完全に復興すべく

身分の流動化を暗示した革新的な思想家だったと

言えるでしょう

 

今回はここまで

 

「身分の流動化」ということは

社会は階級制によって決まるものでもない

 

「人の上に立つべき人は

生まれつきではなく」ということは

優生思想によって決まるものでもない

 

徳を身につけて

自律した「個」を確立した人が

リーダーになるべきだという主張ですが

あなたや私、身の回り

そして日本のトップリーダーと言われる人たちは

そんな人ですか

 

上に行けば行くほど

内なる目的(欲を満たすこと)になっていませんか

 

自身の考え方としては

心を満たす術を持つことで

徳を身につけるための姿勢で

自律した「個」を維持する姿勢を持つ人でなければならない

 

そもそも

徳を身につけたら終りというものでもなく

自律した「個」を確立したものでもない

 

人間性というのは

1回身につければ終わりというものではない

 

生涯、そうなる姿勢を持って磨き続けるべきものです

 

なぜなら

人である限り、脆弱な人間性をなくすことはできないから

 

上に立つものであっても「弱さ」があり

能力があっても「弱さ」がある

 

だから

関係性は補完し合いであり

環境によって守られるべきものであり

自律できるようにすることである

 

人としての基準に上も下もない

 

人としての基準に支配という概念はない

 

身分の流動化というより

役割によって

強みによって

流動化するのであって

身分が変わるというものでもない

 

出発点が人をコントロールしないという姿勢だから

 

時にリーダーという役割を持ち

時に同じ立場として目的を果たすという流動性

 

だれもが「リーダー」というこだわりもない

 

カリスマ的リーダーを望まない姿勢

 

支配したいでもなく

承認されたいでもない

 

ヤカラからすれば

絶対にあってはならない「思想」だろうけど・・・

 

言うなれば

「君子」と呼ばれたいために

徳を身につけるものでも

自律した「個」を確立することでもない

 

肩書、権威なども必要もない

 

ただただ

周りとともによりよくなるように

個々人がそれぞれの立場、役割を果たす

 

ただそれだけ

 

そんな社会やコミュニティでいいのでは?

 

人の上に立つことが

そんなに偉いことですか?

 

そんな人たちは

偉くなることを望んでそうなったのですか?

 

徳を身につけて

自律した「個」を確立した人が

政治家にどれくらいますか

 

上に立つ人がどれくらいいますか

 

ヤカラ虚構のなかで

人間性を失わせるものばかりでは

厳罰化したところで

社会の秩序が守られることはないだろう

 

脆弱な人間性が現われる状況では

心を保つことを難しくしてしまうから

 

自分の人間性を守るのは

あなたや私の「なか」でしかない

 

日頃の姿勢によって

自分の良い人間性を守り、維持しましょう

 

№4318 すみ分けの秩序を作っているのは誰?

前回の「中国思想」のつづき

 

礼はもともと、祭祀から生まれたと言われています

 

中国では天地をまつる祭祀と

祖先をまつる祭祀が時代と共に発達していきました

 

目に見えない存在として

特に信仰されたのは天ですが

中国の場合、天が人格を持った神なのか

世界を司る法則なのか

あいまいに考えられたようです

 

古代中国人は、生け贄を捧げたり

占いによって天の意思を確認したりする一方で

天体観測や暦の技術が進むにつれて

世界が合理的な法則によって動いているという

観念を強めていきました

 

これに比例して

世界の一部である人間社会にも合理的な法則があって

それを追求すれば天が感応して祝福を下し

安定と繁栄が得られるという考えが強まりました

 

祭祀においてそれぞれの立場と役割を定め

秩序だった儀礼を行えば祝福が下るように

政治においてもそれぞれの立場と役割を定め

秩序だった統治を行う国家にこそ

天は繁栄を約束するのです

 

こうした考えから

人々にそれぞれの立場や役割を与え

それに応じてとるべき言動や

身につける衣服、扱う調度品か規範として整備されました

 

この規範は王ですら免れることはできません

 

王は規範を整備して人々を秩序化することで

天の代行者としての正当性を認められ

「天命」を受けた「天子」としての権威を身にまとうのです

 

天命を受けたかどうか判断するのは世論です

 

王がみずからの規範を守らず

社会全体の規範を構築できなけれは

世論は天命を失ったと考えます

 

この時、政権を交代する大義名分が

発生して反乱と政権交代

すなわち「革命」が起こります

 

革命が政治のオプションとして存在することは

中国政治に強烈な緊張感を生みますが

一方でのちのち大きな問題になりました

 

王ですらそうなのですから

まして諸侯、卿大夫(けいたいふ)、士も

それぞれの立場にふさわしい規範が定められます

 

このようにして支配層に対する規範として

定められたものが「礼」であり

それは彼らの存在意義を担保するものとなりますが

それが後になると政策や刑罰などを

定める際の基準となりますから

全国民に対する影響は計り知れないものがありました

 

礼においては

より合理的な規範を追求することが最も重要になります

 

王を頂点とした序列とそれぞれの規範を構築することで

誰が配属されても機能するような仕組みを追い求めるのです

 

これは太陽、山、川、大地、動植物などが調和して

自然環境を作っているのと同じように

人間社会を体系化し

調和した世界を構成する行為として考えられました

 

前近代の中国において政治とは

まず礼の確定であり、しっかりした礼があれば

後は自然と期待通りに社会が回るはずなので

こまごました事務作業は2次的な問題だと

考えられていました

 

ここでは便宜上「構築」や「作る」と書いていますが

彼らの自意識としては

あくまで天の法則が具現化した儀礼の規範を

社会の規範としてスライドさせているのであって

礼は人間の素朴な心情が納得するような規範であり

人間を改造しようとするものではありませんでした

 

この点

礼を人間の作為したシステムと言い切り

人間の欲望を誘導しようとした荀子は

やはり法家の先駆者であって

かなりの異端ということになります

 

ともあれ

こうした考えにより

王や政治家たちは前例を積み上げ

社会の動きを観測し

礼を適宜改変して

より合理的な礼へと洗練させていきました

 

そのためのデータとして

地方の地理や文物

それに影響を受けた風俗や人情を収集し

また、時代ごとの心理的、物質的な変化を計測することで

どの地方、どの時代でも通用する礼になるよう工夫しました

 

つまり彼らは

地域、世代などの異なる価値観からなる人々が持つ

あらゆる人情をも汲みとった

人間の最大公約数としての礼の完成を目指したのでした

 

この計測・集積の結果は

後世に『詩経(しきょう)』『尚書(しょうしょ)』『礼経(れいけい)

(後に散逸)などの経書(儒教の聖典)として残ります

 

こうして人々は、職務や生活で礼に沿った言動をとり

適切とされる衣服、調度品などを用いることを通じて

礼に沿った心構えを無意識に備えます

 

そうすると、言って良いこと悪いこと

して良いこと悪いことが自然と分かるので

他者に対しても距離感のあるコミュニケーションを図れます

 

祖先祭祀も同様

家族を小さな世界、国家のように考え

家族の礼へと拡大します

 

これにより、家族間であっても礼を守らなければ

祖先の加護は得られないため

馴れ合いや理不尽な暴力から解放されます

 

こうして礼に沿った言動や心構えができると

その人は「徳」のある人だと言われます

 

徳は親子関係では「孝」

友人関係では「信」などと

さまざまな場面によってジャンル分けされ

それらを完璧に備えた人は

礼をよく理解しているので

公正に役割や立場を分配し

1人もとりこぼさない社会を作ることができる「聖人」だと

考えられました

 

したがって

徳は礼を永遠に再構築する母胎であるという

考えが生まれます

 

この考え方は

立場にふさわしい居住まいや言動を大切にし

「心を込める」とは丁寧な仕事をすることだと思い

心と形が備わった人には

優れた人間性が備わっていると考える日本人にとって

大変理解しやすいのではないでしょか

 

立場と役割を確定していく作業は

官職制度や家族制度を生み出し

春秋戦国時代になると

政令や刑罰と合わせて

「法」へと発展していきました

 

このように

礼は中国文明そのものといっても過言ではないのです

 

礼の弱点は

それを作るのが人間だということです

 

つまり、その人間が率先して

礼を守らない場合

たちまち人々は勝手に動き出し

社会が機能不全に陥ります

 

事実、周の王が礼を守らなかったことによって

春秋戦国時代に突入し

管仲の活躍などもあいまって

功利が浸透しました

 

礼は統治能力のない時代遅れの規範として軽視されたのです

 

この時に現れたのが孔子(552~前479)です

 

孔子は早くに孤児となったため

貧困の中であらゆる仕事をして食いつなぎながら

学問に精を出しました

 

また

孔子は出身地である魯()を代表する偉大な政治家

周公(生没年未詳)を尊敬しており

周公のように中国全土を礼によって

ひとつにまとめて再興したいという

野望を懐いていました

 

やがて多くの人々が弟子入りするようになり

次第に身分の高い貴族もその門をくぐるようになります

 

これに伴って孔子を招いて

政治上の意見を聞く政治家も出始め

ついに孔子は自分を使って

礼の復興を行う主君を求めて

諸国を巡ることとなります

 

結局孔子を登用する主君は現れず

晩年は教育と著述に取り組むこととなりますが

孔子の弟子たちは各地の諸侯に登用されて

政治、外交、軍事、教育など多方面で活躍し

歴史に名を残しました

 

孔子のもとに弟子が集まった理由は

その学問が実用的だったからです

 

現代でも単に効率的に

業務をこなせるだけでは仕事は成立せず

さまざまな企業風土や地域の人間関係に即した

ふるまいや言葉遣いができ

世界規模になると各国の文化や価値観をおさえ

外国の人をにやりとさせるような文学的

歴史的な知識や言葉遣い、ふるまいを学んでおかなければ

取引に何かと支障を来します

 

この点、当時の中国ではさまざまな文物や

慣習、人情を集積した『詩経』や『尚書』の教養が

とても役に立ちました

 

また礼の知識は

祭祀を含むさまざまな儀礼をとりしきる即戦力として必要でした

 

もちろんスキルの点についても

当時は政治家に必要な実用技能として

(儀礼)、楽(音楽)、射(弓術)、御(運転)

(書道)、数(数学)の「六芸」(六つの技能)がありましたが

これを孔子は全てマスターしていました

 

したがって

その教育を受けた弟子たちは

各国の諸侯に重宝されたのでした

 

では孔子自身が登用されなかったのは

何故でしようか

 

それは、当時の諸侯たちにとって

あくまでも教養やスキルがあれば

それで良かったからです

 

つまり、功利が浸透して

生き馬の目を抜くような競争社会となった

戦乱に勝ち抜くには

常に個別の問題にプラグマティックに対応していく実用スキルや

交渉を有利に進めるコミュニケーションツールとしての

教養が大切で

規範について議論している孔子は

空論を説く「役立たず」以外の何ものでもなかったのでした

 

事実、孔子の同時代人だった晏嬰(あんえい)

孔子の説く礼は煩瑣に過ぎて役に立たず

混乱と対立をもたらすとして徹底的に排除します

 

孔子の弟子たちですら

理想が高すぎると批判するくらいでしたから

孔子はその名声に反して

実に孤独で寂しかったと言えるでしよう

 

しかし孔子の考えは

本当に単なる懐古主義だったのでしょうか

 

今回はここまで

 

理想を追い求めることと

現実に則した日常生活を考えることは

相容れないものなのか

 

相容れられるかどうかも含めて

それは個々人の主観によって

個々人の社会への見方によるものであって

何が自分にとって大切なのかということです

 

個人面で見ても社会面で見ても

礼というそのとき、その場所、関係性によって

振舞う姿勢や行為、態度は決まっているとして

秩序は保たれる

 

しかし、それは果たして

「意識」の部分では合理的なものですが

心の部分では「欲」に支配されれば

秩序を乱すものとなり得るし

「心」を保てていれば

秩序を保つものにもなり得る

 

つまりは

絶対的にも相対的にも

意識的にも無意識的にも

「人としての基準」をどうやって保てるようにするかを

まず、一番に考えることが必要では・・・?

 

理想を追うにも

現実に合わせた日常を送るにも

幸福を感じるのも

関係性の構築と維持によるもの

 

個人としての幸福にも

社会としての幸福にも

個人と周り

周りから社会へとつながる話です

 

立場も役割も違っていても

能力の違いがあっても

普遍的な判断基準、共通目的は

「人として、このとき、どうあるべきか」という姿勢が求められる

 

心に余裕がなければ

人間性の損失(関係性の崩壊)は大きい

 

心の余裕があれば

エゴの肥大を抑制できるし

利己と利他のバランスは図ることはできる

 

偉くなれば

優位になれば

その状況を有利に運ぶことはできても

人としての基準を逸脱してまで

行使する権利は誰にもない

 

優れた人間性を備えるというより

脆弱な人間性を自覚できるかどうか

 

人の痛みを分かるかどうか

人への思いやりが当たり前かどうか

 

社会は法で守られるべきものでしかないのか

 

法による抑止力が人間性を保てるのか

 

社会の秩序を法によって維持するのか

 

それとも

人間性や道徳観の教育によって維持するのか

 

関係性を奪い合いで成り立たせるのか

 

関係性を補完し合い、与え合いで成り立たせるのか

 

姿勢で理想を追うことでもあり

現実に則したものに修正した姿勢にすることでもある

№4317 なぜ中国思想を学ぶべきか

前回までのことを踏まえて

個と社会のつながり方としてどうあるべきか

今回は「中国思想と日本文化」について学習してみよう

 

まずは背景から

 

中国思想と聞いて思い浮かべるのは

孔子や老子といった古代の思想家でしょうか

 

あるいは、「五十歩百歩」や「矛盾」といった故事成語でしょうか

 

昔は漢文の授業時間が長く

小説や随筆、新聞などにも

中国思想の言葉が使われていましたし

もっと直接的には、経営者向けの中国思想本が人気でしたから

そうした思想家たちの名前や言葉を目にする機会が

多くありました

 

それよりもずっと以前の江戸時代には

現代と比較にならないほどに大きく影響しており

人々の生活や価値観に浸透して

260年の平和を作っていましたから

中国思想は日本文化と切っても切れない関係にありました

 

ただ、江戸時代の後

中国思想はひたすら下降曲線を描いて

人気を失っていきます

 

その原因となったのが明治維新と欧化政策です

 

明治維新によって徳川幕府が打倒され

欧化政策が推進されると

江戸時代に根づいていた中国思想は

人々の自由を抑圧する「前近代的」なものという

レッテル貼りがなされ

近代化のために乗り越えなければならないものとして

語られてきました

 

これに対して

日本の伝統的価値観を信じ

そこに中国思想の影響を見ていた人々が

アジア研究の一分野である「東洋哲学」「中国哲学」として

学界に残し、また道徳教育や国語教育の部に挿入して

なんとか生きながらえてきたのでした

 

つまり

明治の時点で既に

中国思想は「過去」になっていたのです

 

その後、昭和初期から始まった

日本精神を復興しようとする動きに連動して

国家に対する忠誠や、親に対する孝行を強調する際に

中国思想由来の言葉が多用されたことは

中国思想の復権を期待させましたが

敗戦によってその動きが否定されることによって

中国思想の没落は決定的になりました

 

したがって

昭和から平成初期まで残っていた中国思想というのも

現代的な価値観と衝突しそうな要素はできるだけそぎ落とし

故事成語や人生訓のような

当たり障りのない形で扱われてきた、という側面があります

 

一方で、近代以来

現代文明の行きづまりや限界が問題になると

幾度となく「東洋の英知」にスポットが当てられ

中国思想に世界が注目することがありました

 

古くは西洋哲学の議論で仏教が扱われ

ドイツ文化圏を中心として盛んに研究された他

ベトナム戦争(2次インドシナ戦争、1960年~1975)

伴って起こった、アメリカを中心とする若者の反乱は

その理論の中に禅や道教を取り込むことで

既存の規範や価値観を相対化していく「ヒッピー文化」を

生み出しました

 

価値相対化の流れは

1980年代に起こった「ポリティカルコレクトネス」

1990年代に高揚した「文化多元主義」にも影響し

現代でも「環境保護」や「SDGs」、「ジェンダーフリー」や

「マイノリティーの権利拡充」といった議論に派生して

世界を大きく動かしています。

 

また、1960年代に発生した

日本の高度経済成長以降、1980年代にかけて

台湾、シンガポール、韓国などで起こった

驚異的な経済成長に注目が集まると

アジア圏の急速な経済成長の背景には

儒教が存在すると考えられるようになりました

 

2010年代になると

世界の経済力第2位に躍り出た中国では

国家の求心力を高めるために

儒教を盛んに称揚するようになります

 

経済力をつけた中国は

「一帯一路」をはじめとして

ユーラシア大陸からアフリカ大陸方面へは

東南アジア、中央アジア、中東、東ヨーロッパ

アフリカの諸国に政治的、経済的進出を行い

太平洋方面へは日本、台湾、フィリピンなどと

島嶼部を巡る国境問題を起こし

太平洋諸島の諸国に経済的アプローチを続け

「第一列島線」「第二列島線」という

海洋勢力圏の確立を狙っています

 

その膨張的進出は

19世紀半ばのアヘン戦争(18401842)まで

「眠れる獅子」と恐れられた「中華帝国」の恐怖を

彷彿とさせるものであり

中国が文化的に世界の中心であるという

伝統的な「中華思想」の復活を思い起こさせ

アメリカを中心とした、いわゆる西側諸国から警戒されています

 

このように

中国思想は現代でもリアルタイムで影響しているのですが

なぜか日本では前述の通り「過去の話」のまま

ほとんど顧みられていません

 

この原因として考えられるのは

欧化政策以降、とにもかくにも西洋文明を摂取することで

日本の独立を守りきることに命がけだった歴史が

いまだに続いているということでしょう

 

そしてもう1つは

2次世界大戦の敗北、そしてパブル崩壊によって

日本人が徹底的に打ちのめされ

もはや中国思想のみならず

日本人の価値観そのものに

ほとんど自信を持てなくなったことにあるのではないでしょうか

 

ただ、現代日本で問題になっているさまざまな現象に対し

必ずしも海外の潮流が答えを用意している訳ではなく

国論を二分しない「少子高齢化」や

「格差拡大」のような問題1つとっても

海外の潮流を探るだけでは

なかなか答えが出ないというのが

実際のところのように思われます

 

この時、日本はみずから課題を設定し

みずから答えを作らなくてはならない状況に

あるのではないでしょうか

 

そしてその答えは

日本人自身の考える能力

すなわち日本の伝統的価値観によって作られるのであり

その思想には中国思想が大きく関わっています

 

ここでは

そうした日本の伝統的価値観を

「思い出す」基礎として

中国思想の流れを解説しています

 

ここで扱う中国思想の流れは

「個」の確立と生活を通じた社会変革を軸としています

 

これを眺めることで

中国の歴史と思想の関係が分かると共に

実は中国思想が日本人の価値観や生活の中に

今もなお健在であることが理解されるはずです

 

そして、このことか理解されると

現在世界を牽引している潮流を相対化し

日本人が日本人の文脈で生き方を考え

「失われた30年」を克服する鍵が

中国思想を含みこんだ日本の伝統的価値観の中にあると

思うかもしれません

 

もしもそのような鍵を見つけ出した人がいて

その人の仕事や生活の中に

中国思想が組み込まれた時

きっとそれは日本人の伝統的な価値観を目覚めさせ

社会を変革するダイナミズム(活力)を提供することでしょう

 

それはおそらく

世界に対して日本が堂々と

自己主張する未来を引き寄せるに違いありません

 

また、現代の日本は

さまざまな分野における技術革新を社会に流通させ

人々の生活を豊かにしていく企業の経済活動を軸に動いており

ビジネスの動向が日本国民を大きく動かしています

 

その点からして

特にビジネスに関わる人々の意識に

中国思想がかみあった時

それが日本や世界に与える効果には

計り知れないものがありますから

大きな意味があると考えています

 

そうした目的をタイトルに反映し

ここでは「武器としての『中国思想』」と銘打ちました

 

過去の思想を追いながら

我々自身の内に

その躍動感のあるダイナミズムを感じ取る経験は

中国思想ならではの楽しみ方です

 

そうしたことを念頭に置きながら

読み進めてもらえれば幸いです

 

今回はここまで

 

歴史(現代史)教育もウソばかり

 

個々の文化を破壊していくのが目的であって

その流れが今の現象です

 

ここを読んでいるなら

なぜ中国思想が日本で過去の思想となっているかは

分かるはずです

 

そう「ヤカラの虚構」のなかでは

流行ってはいけない(広まってはいけない)思想だからです

 

ヤカラたちは

道徳観のある人

心ある人がマジョリティでは

これまた中産階級が育っては困るように

政治に口出す人

余裕をもって考える人が多くなっては

支配権を維持できないからです

 

欲を満たすことに邁進せよというのがヤカラ思想だから

 

心を満たすことに邁進してもらうことを

当然ながら拒否する思想で

きらびやかな成功を追い求めさせ

成功した者たちをヤカラ化に洗脳し支配させ

その実権は実はヤカラだということ

 

脆弱な人間性を大いに活用できる環境のままにしておくこと

 

脆弱な人間性の管理をヤカラがするか

個で管理するか

 

その選択権、その意思は

あくまで個々人に委ねられているが

実はヤカラ思想によって支配されている

 

マネー主義という絶対価値で支配している

 

そんな虚構のなかで

生きるための術こそが

「人間性」という

あなたの個を確立させるための大きな要素を

自分で管理しなければならない

 

経営にも

稼ぐことにも一生懸命であっても

心ある人間性を失うような日常では

社会として見ても

身近なコミュニティとして見ても

残すべき文化

伝え続けるべき知識や情報が壊される

 

決して

自分の人間性というのは

理想でもなく

宗教でもなく

哲学でもない

 

個の成功のために存在する価値のためでもない

 

周りとの関係性

社会との関係性のなかに

あなたの存在する価値を感じられるようにしよう

 

実際に

承認欲求(自己重要感)

周りとの関係性があってのものであり

それが「欲」を満たすものか

「心」を満たすものかの違いを分からないまま

混同していることに(自覚しないことに)

関係性を崩壊させてしまう

 

日常で現実を追うということは

生活のなかで自分の「欲」と周りの「欲」によって

関係性が決まってしまえば

与えあいより奪い合いが強くなる

 

本来

関係性は補完し合いで成り立つものである

 

そうしなければ

心は安定するはずもない

 

心を不安定のままずっと生きたいですか

 

欲に満たされることで

支配されたいですか

 

もちろん

支配する側は気持ちのいいものかもしれない

 

そんな支配する側も維持するために

立場が逆転しないように

裏切られないように

ずっと監視し続ければ続けるほど

心へずられそうな状態のまま

不安定なまま生き続けることになるだろう

 

追い込まれれば

人としての基準を失う

 

あるのはエゴの肥大だけ

 

もちろん

当人たちはそんな自覚はないだろうが・・・

 

自分の欲求のためにそんな生活したいですか

 

周りとともに心を満たした生活したいですか

№4316 内なる幸福や楽しみが持続するから人間性が維持できる   

前回までのこと踏まえて

あなた自身と日常の環境との「つながり」は

どうなっているか?

となってほしいか?

あなたの内的動機づけが持続性をもたらしているか?

等々を考えてみよう

 

ちなみに

今回も前回のつづきとなるので復習です

 

本題はここから

 

なぜこれほど多くの人々はあんなに働いてから

ディズニーランドに逃げ込むのだろう?

 

TVゲームはどうして仕事よりも人気があるのだろう?

 

なぜこれほど多くの労働者は引退のときを夢見て

その後の計画を立てることに何年もかけるのだろう?

 

その理由は単純だが、気がめいるものだ

 

私たちは職場を欲求不満のたまる

つまらない場所にしてしまった

 

社員は言われたことをやるだけで

組織の意思決定に加わる方法がほとんどなく

自分の才能を十分に発揮もできない

 

当然の帰結として

自分の生活を自分である程度コントロールできる楽しみに

引かれるようになる

 

私が世界中でこれまでに関わってきた組織では

たいてい、働く人々の「上」に本社があって

従業員に相談することなく

彼らの生活に著しい影響を及ぼす判断を下している

 

というふうに

世界的なエネルギー供給社AESコーポレーションの創設者

デニス・バーキは述べている

 

権力をトップに集め

同じ組織に働く仲間を権力者と

それ以外に分けるような組織は

問題を抱えて病んでいく

 

組織内の権力は

戦って勝ち取る価値のある希少なものと見られている

 

人はこうした状況に置かれると

いつも人間性の影の部分が浮き彫りになってくる

 

個人的な野望、政治的駆け引き、不信、恐れ、ねたみといった感情だ

 

組織の最下層では

「あきらめ」と「怒り」の感情が

広がりやすくなる組織の底辺の力を結集しようと

労働組合が生まれ

トップからの権力行使に立ち向かうようになる

(トップはトップで労働組合を破壊しようとする)

 

社内全体にモチベーションの欠如が

広がっている組織をよく見かけるが

これは権力の不平等な分配によって生まれる

破壊的な副作用の一つである

 

職場とは、自分らしさを失わず楽しく振る舞え

有意義な目的を目指しながら

同僚たちと仲間意識をはぐくめるような場所だ

ーそう感じているのは少数の幸運な人たちだ

 

圧倒的多数の人々にとって

職場は苦役に服する場所なのだ

 

毎日いくらか労力を「提供して」

その引き換えに給料を得る場にすぎない

 

これは、才能と情熱の無駄づかいにほかならない

 

「ちょっと言い過ぎでは?」そう思われたなら

人事コンサルティング会社タワーズワトソンが

2012年に実施した中佐結果を紹介しよう

 

これは29カ国の民間企業に働く32千人へのアンケートで

従業員の会社へのエンゲージメント

(および従業員の経営陣への信頼度や

経営陣が従業員の幸福にどの程度関心があるか、といった

エンゲージメントに貢献している主な要因)を測ったものである

 

この調査で明らかになった最も重要な結論は

自分の仕事に愛着を持っている人々の割合が

およそ3分の1(35)だということだ

 

それ以上の人々が仕事に「無関心」か

「意欲を持とうとしない」(43)

 

残りの22%は「(会社から)支えられていない」と感じている

 

この調査は

例外的に悪い結果を示しているのではない

 

同し調査が長年続いており

今回よりも悪い結果だった年もある

 

組織論の研究者ゲイリー・ハメル「経営の恥」と

適切に表現している

 

多元型組織は権力の不平等という問題を

権限委譲、すなわち意思決定を

組織ヒラミッドの下位の人々に担わせることで解決しようとしている

 

その結果、他社よりも

はるかに高いエンゲージメントを実現している会社も多い

 

しかし、権限委譲を実現するには

トップにいる者が、自分の権力の一部を譲れるほどに

賢明か高潔でなければならない

 

しかし

もし権力がゼロサム・ゲームでなかったとしたら

どうなるだろう?

 

もし、だれもが強い権限を持ち

無力な者が一人もいないので

権限委譲が必要ないという組織構造と行動様式を

設計できたらどうなるだろう?

 

これが、進化型組織が到達した最初の突破口だ

 

だれがだれに対しても権力を行使できる立場にはなく

しかし(逆説的ではあるが)組織全体としては

ほかの組織形態よりもはるかに強力になっている

 

ーそのような組織構造と行動様式を通じて

権力の不平等という昔からの問題を乗り越えているのだ

 

今回はここまで

 

何より

今の仕事を楽しめていますか?

 

その「楽しみ」は欲を満たしていることですか?

それとも、心を満たしていることですか?

 

ここで

「動機づけ」について

改めて学習しておこう

よく読ませてもらっているメルマガのなかで

「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」について

分かりやすく説明された一部を紹介します

 

(心の知能指数を提唱する)グラント教授は

「人間のやる気には2種類ある」と言っています

 

それが「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」です

 

この2つ、あなたも聞いたことがありますよね?

 

まず、外発的動機づけは、

たとえば以下のように外から与えられるやる気です

 

・お金のために働く

・褒められたいから頑張る

・締め切りがあるから働く

 

アメとムチとか

目の前にぶら下げられた

ニンジンみたいな感じです

 

ここまではあなたも知っていたかもしれません。

 

でも、この外発的動機づけには、

どういう特徴があるかわかりますか?

 

それは、一瞬で強く燃え上がるけれど

すぐ消えちゃうことです

 

たとえるなら

藁に火をつけるようなものです

 

藁はすぐ燃える

 

炎も大きい

 

でも、数分で燃え尽きて消えてしまう

 

だから次の藁を探して

また燃やさないといけない

 

でも、またすぐに消える

 

これが「外発的動機づけ」の特徴です

 

そして

刺激に敏感な人(内向型人間)にとっては

この強い炎が問題になります

 

刺激が強すぎて不安になっちゃうんです

 

だから

内向型の人が外発的動機づけだけに頼ると

秒でバーンアウトしちゃうんです

 

一方で

内発的動機づけは

内側から湧いてくるやる気です

 

たとえば

 

・純粋に面白いから没頭する

・成長している実感があるから続けられる

・誰かの役に立てている感覚があるから動く

 

このように

外から与えられるやる気ではなく

自分の内側から出てくるやる気です

 

ここまではあなたもご存知だと思います

 

で、内発的動機づけには

どういう特徴があるかわかりますか?

 

それは、刺激は弱いけれど

長続きすることです

 

そうです

 

外発的動機づけとは正反対ですよね

 

外発的動機づけが藁だとしたら

内発的動機づけは炭に似ています

 

炭って火がつくまでに時間がかかります

 

最初はなかなか火がつかない

 

でも、一度火がついたら

何時間でも燃え続けます

 

炭火は地味で、藁のように

派手な炎は上がらないじゃないですか

 

そして内向型の人にとっては

この炭こそが

相性抜群のやる気なんです

 

刺激に敏感なので

弱い刺激でも行動できる

 

静かだけど

長く燃え続けられる

 

つまり、内向型の人には

内発的動機づけの方がハマるんです

 

これに気づけると、

努力を10倍楽しめるようになります

 

そして、気づきましたか?

 

多くの内向型の人が

「やる気が続かない」と悩むのは

ダメ人間だからではありません

 

炭に火をつける方法を知らず

延々と新しい藁を燃やし続ける「ループ」に

ハマっているだけなんです

 

ただ、注意点があります

 

炭に最初から直接火をつけるのは難しい

 

だから最初は藁に火をつけて、

その火を炭に移していくイメージです

 

つまり、外発的動機づけでスタートして

徐々に内発的動機づけへ火を移していく

 

これが内向型の人がやる気をキープするコツなんです

 

引用はここまで

 

大変分かりやすい説明ですが

自身の言葉にすれば

外発動機づけとは根源的な「欲」求を満たすこと

内発的動機づけは心を満たすこと、となります

 

繰り返しますが

外なる幸福や楽しみは代替物にしかなりえないし

また、一過性ですし

自分でコントロールができないものであり

人をコントロールしないと得られないものでもある

 

一方で

内なる幸福や楽しみは

そもそも人から、外から得るものではないから

自分でコントロールできるし

人をコントロールしなくても得られるものです

 

といっても

自分事にするまでは

前述したとおり

外発的動機づけから内発的動機づけへと

シフトする方法でもいいし

出発点から内発的動機づけでもいいだろうし

また他にも違った方法が

あなたにとってのオリジナルになるのかもしれない

 

要は

そのプロセスに

意識のうえに心が乗っているかどうか

 

意識で理解しても

心がどう反応し、作用を及ぼしているかを自覚しないと

「欲」を満たすことに無自覚に

振り回されることに気づきません

 

日常そのものが

楽しみと幸福に溢れる環境ですか

 

日常そのものに意義を感じていますか

 

それは

あなたのなかで対処できるものですか?

 

心を満たさなければ

自分の「良い人間性」を保持することは難しいだろう

№4315 逆算思考によって姿勢を定める

前回のつづき

 

進化型パラダイムでは

判断と寛容という対立を超越できる

 

進化型以前の段階では

私たちはほかの人々と意見が異なると

「自分たちが正しく、彼らが間違っている」と

決めつけて対峙することもある

 

そうなるととるべき選択肢は

説得する、教えて間違いを正す、解雇するということになる

 

あるいは寛容という名の下に

(これは多元型組織では理想的な態度であるが)

意見の違いをうまく取り繕って

すべての真実は等しく価値があることを認める

 

進化型パラダイムでは

この対立性を超越し

決めつけないことでより高次の真実にたどりつける

 

私たちは自分の信念を点検し

実際にはそれが優れていることを発見するのだが

同時にほかの人のことも

基本的に等しい価値の人間として受け入れることができる

 

判断をしない世界では

他者との関係性は新たな形をとる

 

他者の話に耳を傾けるとき

それはもはやうまく説得し

状況を修正し

解雇するための情報収集に限られるものではない

 

判断から解放された共有スペースを作り

相手の話にとことん耳を傾けることによって

ほかの人々が自分の声や真実を見つけられる手助けをする

 

もちろん

それはお互い様である

 

達成型パラダイムで

人々は順応型組織の抑圧された

規範に従うコミュニティーから解放された

 

今や、お互いに耳を傾けて自分らしさと全体性を得られるような

新しい下地の上にコミュニティーを作りなおす機会を得たのだ

 

逆説的ではあるが

ここでも、人々は自己に誠実に向き合うほど

自分がもっと大きな何か

人生と意識がお互いに

結びついた一つの織物のようなものの一部

その一表現にすぎないことがわかってくる

 

この気づきはとても嬉しいと同時に苦しいものかもしれない

 

というのも、自分の生活と自然との関係が

いかに深刻に破壊されてしまったかを理解しているからだ

 

人々はその関係を修繕しようと懸命に努力するが

それは倫理的な義務感からではなく

内面的な気づきによるものだ

 

自分は自然から分離しているのではなく

自然と一体なのだ、といく覚醒である

 

人類が自らを

他の生命の上に立つ存在と位置づけることは

愚行かつ高慢な姿勢だ

 

そのことに気がついた人は

ほかの生命を含めた大自然の中で

真実でつつましい場所を見つけようとしている

 

人生と自然との関係が立ち直ると

多くの人は、自分が必要だと

思っていた所有物に振り回されない簡素な生活を

送るようになる

 

そのうちに、自分か豊かなのは、何かを所有しているからではなく

自分の魂を育んでくれるさまざまな「つながり」があるからなのだ

ということを理解できるようになる

 

ここまで

新しい組織モデルが現れるたびに

それ以前のモデルでは思いもっかなかったほど

素晴らしい成果がどのように達成されてきたかを

論じてきた

 

数多くの研究者がもう一つの面白い現象を目撃している

 

どの組織形態(たとえば達成型組織)でも

組織の上位にいる人々が

段階を上れば上るほど業績が伸びる、というのだ

 

たとえば

ビル・トルバートは

大企業の組織変革プログラムの成否は

CEOの発達段階が大きく影響することを立証した

 

そしてその範囲内では

進化型パラダイムに基づいて活動するリーダーが

圧倒的に成功していた

 

クレア・グレイブスは異なるアプローチで

同じような結論にたどり着いた

 

彼は

行動の主なよりどころとなっているパラダイムに

基づいて人々をグループ分けし

複雑な作業を与えた

 

似たような考え方の人々の集団をさまざまな状況に置いて

複数の回答があり得る問題を解決するよう求めた

 

すると、驚くなかれ、作業結果が私の手元に集まり始まると

実に特異な現象に気がついたのだ

 

進化型グループが

ほかのグループ全体を合わせたよりも

多くの解決策を見つけ出していた

 

つまり、彼らの出した解決策は

衝動型プラス順応型プラス達成型プラス多元型の合計よりも

多かったのだ

 

しかも解決方法の質はほかの集団よりも驚くほど優れていた

 

進化型グループが一つの解決法に到達するまでの平均時間は

ほかのどのグループよりも圧倒的に短かった

 

それ以前のパラダイムと全く同じように

進化型パラダイムにも進化の法則が当てはまるようだ

 

世界観や認識が込み入ってくるほど

私たちは直面する問題に

うまく対処できるようになるのである

 

これは組織の未来にとっては明るいメッセージだ

 

とりわけ組織の中にいる個人だけでなく

組織自身も進化型の原則と

組織慣行に従って活動している場合になおさらである

 

進化型パラダイムにおける個人の振る舞いから

進化型組織エゴを抑制すれば

組織の構成やのあり方をある程度定義できるかもしれない

 

エゴを抑制すれば

組織の構成や運用の仕方が大きく影響を受ける可能性がある

 

今日、企業に蔓延する病気の多くは

恐れに基づく自分勝手な行動に

原因があるといっても過言ではない

 

官僚的なルールやプロセス

際限もなく続く会議、分析麻痺、情報隠し

秘密主義、希望的観測、見て見ぬふり

信ぴょう性の欠如、縄張り主義、内輪もめ

トップへの権限集中といったようなものだ

 

進化型パラダイムでは

エゴに動かされる度合いが低いので

こうした企業病をある程度は避けられそうだ

 

一般的な言い方をすれば

(権限)との関係が根本的に変容するかもしれない

 

それでは、信頼が恐れに置き換わった場合でも

ヒラミッド型の階層構造は最適な組織構造なのだろうか?

 

規則や方針、詳細な予算、目標、工程表といった

今日のリーダーが「自分はこの組織を統制している」と

感じられるようなさまざまなものはすべて必要なのだろうか?

 

おそらく、エゴを失う恐れがなくなると

組織の運営方法は現在よりもはるかに容易になるだろう

 

進化型パラダイムに従う人々は

自分の人生の使命を探すことに忙しいので

明確で崇高な目的を持った組織のみが

密接な関係を築きやすい

 

収益性や成長、市場シェアよりも

存在目的が組織の意思決定を導く原則になるだろう

 

進化型パラダイムとは

全体性とコミュニティーを目指して努力し

職場では自分らしさを失うことなく

しかし人と人との関係を大事に育てることに

深く関わっていくような人々を支える組織なのだ

 

そう言ってしまっても過言ではないだろう

 

以上は

世界を進化型パラダイムを通じて

見ている個人の振る舞いを基にした推測である

 

幸いなことに

今日の我々は実際の組織でこれを確認できる

 

すでにこのパラダイムに基づいて

運営されている組織を紹介する

 

傑出した先駆者である12の組織について

その構造、慣行、文化を検証し

進化型モデルの実際の姿を詳細に描写する

 

情熱的で、生き生きした組織を生み出そうという

使命感にかられた人々にとって参考となるモデルは

すでに存在しているのだ

 

今回はここまで

 

さて、ここまで復習でしたが

改めて、読んだあなたはどう感じたでしょうか

 

平たく言えば

「人をコントロールしない」姿勢を定めることだと

解釈しましたが・・・

 

目標やゴールから逆に計画を立て

最短ルートで達成するための思考法である

「逆算思考」で考えてみよう

 

といっても

実際の計画を立てることでも

結果を求めることでもない

 

そうなるための前提は何かを考え続けることです

 

そして

仮説を立て続けることです

 

そういう環境になるには

そういう自分になるには

どんな前提が必要か

 

その前提は何か

 

またその前提は何か

 

最終的に

今の「姿勢」が決まる

 

姿勢は得るものではないので

最初に決めることです

 

幸福の姿勢の前提が

「人をコントロールしない」と決めれば

 

その姿勢から始まる

 

例えば

人をコントロールしないという意味は

人に無関心や放置することを意味しないということを

その姿勢のプロセスによって理解できてくる

 

つねに

自分事にするまでに手探り状態です

 

人をコントロールしないという意味を

情報と知識も学びながら

経験しながら

人との距離感を意識的に覚えていく

 

重要なことは

分かって気でいないことです

 

理解しているつもりにならないことです

 

それは理解されようとしているすぎません

 

そのことに気づけるようになるのもまたプロセスがあってのものです

 

そのときだけで理解し切るということもありません

 

上述のように

進化型モデルが他のモデルを合わせた合計よりも

成果を出したとありますが

成果が出るからという

これまた結果を得られると思うから

あなたは進化型パラダイムに挑みますか

 

すべて満たされる欲に促されて動くのか

 

すべて満たされる心に促されて歩むのか

 

この二つの動きや歩みは

明らかに持続性が違うだろう

 

明らかに姿勢が違うから

 

つまり

ゴールを目指すにも

出発点が違う

 

上述にある

「企業に蔓延する病気の多くは

恐れに基づく自分勝手な行動に

原因があるといっても過言ではない

官僚的なルールやプロセス、際限もなく続く会議

分析麻痺、情報隠し、秘密主義、希望的観測

見て見ぬふり、信ぴょう性の欠如

縄張り主義、内輪もめ、トップへの権限集中といったものようだ」

 

まさに

ヤカラの虚構のなかに蔓延するものばかり

 

支配欲、承認欲で蔓延するものばかり

 

脆弱な人間性で支配される

 

ヤカラの虚構のなかで

あなたの欲によってか

あなたの心によってか

 

自分の脆弱な人間性を

自分で把握し管理しよう(コントロールしよう)

 

あなたが望む(臨む)幸福に

何が必要ですか

 

前提はいいときも悪いときも必ず訪れるから

 

いいときの姿勢だけで望める幸福はありますか

 

あなたの理想から

逆算していって

出発点は

どういう姿勢で

日常を臨む(望む)

 

意識したもの、定めた姿勢を

欲によって振り回されないように

自分の心によって支え続ける

 

だから

心を大切に

毎日、心を整える

№4314 人間性は全体性の一部と捉える?

前回のつづき

 

今回も復習です

 

人生を発見の行程だと考えれば

人生で出遭う挫折や失敗

さまざまな障害に潔く対処できる

 

「この世の中に失敗などは存在しない

ただ自分自身や世界の奥底にある本当の姿に

近づくための経験にすぎない」という

精神的な悟りへの入口をつかむことかできる

 

これ以前の段階では

人生に立ちはだかる障害物

(病気、ひどい上司、うまくいかない結婚生活)

サイコロの悪い目、不運とみなされる

 

怒りや恥ずかしさ、他人を責める気持ちでこれらに向き合うと

他人ばかりでなく自分自身からも離れてしまう

 

一方進化型パラダイムでは

人生における障害物とは、自分自身とは何か

世界とは何かを学べるよい機会なのだ

 

エゴにとっては有益な防御壁だが

魂にとっては無能な教師となる怒り

恥すかしさ、非難を素直に手放せる

 

そもそもこの問題の原因は自分にあったかもしれないと考え

そこから成長するには何を学べるだろうと調べてみる

 

進化型より前のパラダイムでは

何もかもうまくいっていると自分に言い聞かせ

間題が大きくなり、雪崩になって初めて

人生の中で変化を無理やり受け入れる

 

現在の私たちは

人生の途上で遭遇する問題から学び

成長しながら、何度も何度も微調整を図ることが多い

 

多元型までの段階では

変化は個人レベルでは恐ろしいと感じられる

 

進化型になると

個人的な成長の過程で

経験する楽しい緊張となることが多い

 

達成型パラダイムでは

合理性が最も重視される

 

どの判断が最高の結果につながるかを追求する中で

合理性は絶対的な力を振るう

 

事実と論理的な理由がなければ

あらゆる見解は「非合理的」で

捨てられなければならない

 

しかし皮肉なことに

結果へのこだわりが

現実を明確に見る能力を曇らせることも多い

 

複雑な判断を下すために

必要な情報の山に囲まれると

自分の世界観や予測に反する情報を

見落としがちになる

 

情報が壁いっぱいに貼りだされていても

人々はヒントを無視する

(あるいはあえて声に出そうとしない)

 

一方、進化型パラダイムは

結果にそれほどこだわらないので

時に不愉快な現実の真理を比較的容易に受け入れられる

 

したがって進化型パラダイムにおける合理性の方が

データが正確に伝わる場合もあるわけだ

 

この段階での「認知」とは

意思決定を支えるために

事実と数字だけではない

幅広い範囲の情報源に触れることを意味する

 

達成型パラダイム的な現代科学の視点は

合理的に推論する

 

私たちの能力を曇らせかねない「感情」を警戒する

 

一方、多元型パラダイムはときにその対極に行く

 

すなわち意思決定の基礎として

分析的な「左脳」によるアプローチを拒絶し

「右脳」的な感情を重視する

 

進化型パラダイムは「知ること」についてのあらゆる領域を

積極的に利用する

 

分析的なアプローチから得られるヒントはいくつかある

 

自分の感情についても

その意味合いをよく調べてみると得られるものがある

 

なぜ私は怒りを覚え、恐れ、大胆になり

あるいは興奮しているのだろう?

 

この感情を通じて

私自身や私の置かれている状況について

何が明らかになってきているのだろう?

 

知恵は直感の中に見つかることもある

 

直感は、現実における複雑で、曖眛で、矛盾し

不連続な性質を尊重する

 

私たちは無意識のうちに

理性的な心では思いつかない方法で

さまざまなパターンを見いだしている

 

直感は論理的思考と同じく

訓練によって鍛えることのできる一種の筋肉だ

 

私たちが自分の直感に注意を払い、尊重し

それらが含んでいるかもしれない真実と

指針に問いをぶつければぶつけるほど

直感的な答えが多く現れる

 

さらに深いところに

答えが見つかるはずだと考えている人も多い

 

古くから伝わる知恵や哲学

そしてトランスパーソナル心理学は

次のようなことを教えてくれる

 

単純に問いを尋ねるのではなく

その問いを活かせば

森羅万象の中にある予期せぬ出来事と共時性から

あるいは夢と瞑想の中で生まれる言葉とイメージから

ヒントを得られるかもしれない

 

非日常的な意識状態

(暝想、黙想、幻覚、フロー体験、至高体験)

どのような意識段階でも得られるが

進化型パラダイムから先では

人々は定期的にこうした状態に浸る実践を通じて

人間の経験の全領域に触れようとする

 

認知上のもう一つの突破口は

矛盾しているもの同士を

合理的につなげる能力を得ることだ

 

つまり「ABも」という複雑な思考を通じて

単純な「AまたはB(のいずれか)」を超越するのだ

 

「息を吸う」行為と「息を吐く」行為が

この違いを簡単に示してくれる

 

AまたはB」という思考方法では

私たちは二つを対立するものとして見る

ABも」という思考では

互いを必要とする二つの要素ととらえる

 

息を吸えば吸うほど息を吐けると考えるのだ

 

「息を吸う」と「息を吐く」という

行為の矛盾を把握することは容易だが

人生の大きな矛盾の中には

それほど明らかでないものもあり

「自由と責任」、「孤独とコミュニティー」

「自己と他者」などについては

進化型パラダイムに達して初めて

本当の意味で理解しはじめる

 

これまで述べてきた

エゴを失う恐れを知らない合理性と

感情や直感や出来事や

矛盾に見られる知恵をすべて一緒にしてみよう

 

すると進化型は

達成型パラダイムの合理還元主義と

多元型パラダイムのポストモダン的な世界観から

「知ること」に対する全体論的なアプローチへと

進化を遂げるのだ

 

ところで

エゴから自己を切り離すことは

人生を解放するための一つのステテップである

 

しかし、この脱同一視化は分離を生む

 

進化型の段階にいる人々の多くは

分離が私たちの人生をいかに粉々にし

それがどれだけ負担になるかについての感覚が鋭くなる

 

私たちは自分のエゴにかまけているうちに

魂の静かなる声を沈黙させてしまった

 

私たちの文化では心を祝福して

身体を無視しがちとなる

 

女性らしさよりも男性らしさに価値を置くことも多い

 

私たちはコミュニティーを失い

自然とのつながりもなくしてしまった

 

進化型の段階になると

全体性を心の底から渇望するようになる

 

エゴと自分自身の深い部分を突き合わせ

心、身体、魂を統合し

内部の女性らしい部分と男性らしい部分を発掘し

他の人と充実した関係を築き

人生と自然との壊れた関係を修繕する状態を望むようになる

 

進化型パラダイムへの移行は

しばしば超越的な精神領域への解放と

私たちが大きな一つの完全体の中でつながり

その一部であるという深い感覚とともに起こる

 

多くの連続的な脱同一視化を経て完全に独立し

自分とまっすぐ向き合えるようになると

逆説的ではあるが、私たちは本当の意味であらゆる物の一部になる

 

全体性に対するこの強烈な憧れは

世の中にあるほとんどの職場が

(無意識とはいえ)促進している「分離」と対立する

 

どこの職場でも

エゴと合理性があまりにも強調される一方で

精神性と感情が無視されている

 

人々は働いている部門、階級、バックグラウンド

あるいは業績に基づいて分離される

 

職業が個人から分離され

組織が競争相手や自分を取り囲むエコシステムから

分離されている

 

私たちは普段使うボキャブラリーからも教えられることが多い

 

たとえば組織では

よく「ワークライフ・パランス」という

 

これは本当に重要なことがたくさんあるのに

その大半から自分を切り離して職場に来ているため

人生の中で仕事がいかに少ししか占めていないかを示している

 

進化型パラダイムに移ろうとする人々にとって

職場でのこうした分離はかなり苦痛なので

転職や独立などを行い

自分自身や他人との全体性を得られる

もっと協調的な働き方を選択することも多い

 

今回はここまで

 

ちなみに

以前も紹介したことがあって復習となりますが

初めて触れる人もいるかもしれないので

補足説明をここでします

 

組織ピラミッドのトップを務めるのは

それほど充実した仕事ではない

 

身なりは立派で自信がありそうに見えても

大企業のリーダーたちの生活は

静かな苦しみにつつまれてもいる

 

とてつもなく活発な活動が

むなしい心の奥底を懸命に隠そうとする

みじめな努力であることも少なくない

 

パワーゲーム、政治的な駆け引き

内部抗争が相次げば

だれもがまいってしまう

 

トップでも底辺でも

組織はエゴを追い求めるという

終わりのない努力をする場になっており

人々は心の奥底に抱いている情熱を十分に発揮できない

 

ここでは

大企業が欲に目がくらんでいると騒ぎ立てることではない

 

企業以外の、行政機関や非営利組織に勤めている人々が

自分の職場に熱狂していることはあまりない

 

天職につけた場合でも

組織の幻滅から逃れられるわけではない

 

教師や医師や看護師は

あこがれの職業ではなくなろうとしている

 

残念なことに大半の学校は

学生と教師が単に自分たちの役割を演じているだけの

魂の抜けた機械になってしまった

 

病院は冷たく官僚的な組織に変貌し

医師や看護師が心から患者に向き合う能力を奪ってしまった

 

組織が内部の問題を

解決しようとするさまざまな方法は

状況を好転させるのではなく

悪化させることが多いように思われる

 

ほとんどの組織は

事業の変更、合併、集中化、分散化、ITシステム導入

ミッション・ステートメントの作り直しや

評価・報奨システムの再構築を何度も経験してきた

 

現在の運営方法が限界に達したと感じ

こうした従来の処方箋が

解決ではなく問題の一部であるように思えることも少なくない

 

もっと大胆で革新的な方法が求められている

 

しかしそれは本当に可能なのだろうか?

 

それとも単なる希望的観測なのだろうか?

 

人々の可能性をもっと引き出す組織とは

どんな組織だろうか?

 

どうすれはそんな組織を実現できるのだろう?

 

ここでの核心をなすのはこうした問いである

 

これらは単に学術的な

頭の体操のための問いではなく

非常に現実的で実際的な問いだ

 

もし方法さえわかれば

血の通った組織をつくりたいと考える人々は増えている

 

新しいタイプの会社や

学校、病院が求められていることを疑う人は

それほどいないだろう

 

必要なのは

「何とかできるはすだ」という信念と

いくつかのに問い対する具体的な解決策なのだ

 

アインシュタインは

「問題は、それが起こったときと

同じ意識レベルでは解けない」という有名な言葉を残した

 

おそらく人類は

意識の新たな段階、新たな世界観に到達して

組織を再生する必要がある

 

社会が別の世界観に移行し

これまでとは劇的に異なる

新しいタイプの組織をつくれるかもしれないという考え方は

希望的観測にすぎないと考える人々もいる

 

しかし、これはまさに

人類の歴史の中で何度か実現してきたことなのだ

 

「人間の意識がどのように進化し

新たな段階に進むたびに

どのようにして新たな組織モデルを

生み出してきたのか」という物語だ

 

この連続的なモデルは現在も続いている

 

したがってこの歴史的な視点は

今日のさまざまな種類の組織や

経営分野における論争を理解するのに大いに参考になる

 

本当に面白くなるのはここからだ

 

発達心理学は

人類の意識がまさに移行しようとしている次の段階について

多くのことを主張している

 

この次の段階に入ると

人は自分のエゴ(利己心)を抑制し

より自分らしく、健全な存在になる過去が

将来への案内役になるのであれば

人類が意識の次の段階へと成長すると

組織モデルもそれに応じて発展するはずである

 

それでは

人類の歴史において

かつてはどのような組織モデルがあり

今はどうなっていて、将来はどうなりそうなのか?

 

ここでは、人の意識がどのように発達してきたのか

それに伴って組織モデルがどう進化してきたのか

その主な発達段階の特徴をざっとご紹介しようと思う

 

ここで、それぞれの発達段階と組織モデルを

名前と色をつけて呼ぶことにする

 

どの段階にも名前をつけることは常に苦労を伴う

 

単一の形容詞をつけても

人の意識の複雑な現実をすべて

捕捉することなどできないが

それぞれの発達段階を最も象徴すると

私が感じる形容詞を選択した

 

すでに存在している発達段階説から拝借したものもあるし

私自身がひねり出した表現もある

 

インテグラル理論は

さまざまな段階を名称ではなく色で示すことが多い

 

色で識別すると覚えやすくなる効果も期待されるため

なるべく組織モデルの発達段階を色づけして呼ぶことにする

 

誤解を避けるために補足しておくと

ここで用いる色は、さまざまな研究を

私自身が消化した結果が反映されている

 

区別に用いる色の種類について

ほかの研究者か用いている考え方と大きく矛盾はしないが

完全に一致しているわけではない

 

前段階の話はここまで

 

あとは色で表現もするし

名称でも表現されているので

図を参照ください

ここまで学習したあなたなら理解できると思いますが

「日常で外的刺激を受けたときに

自分の人間性を周りにどう示し

周りとどう調和していくか」ということです

 

それを個人と組織とのあいだで記されています

 

具体的な組織は

家族でも職場でも

自分事となるように当てはめてみてください

 

どんな意識で

どんな心の状態を維持していくか

 

これは繰り返しますが

「姿勢」にあると思っています

 

組織を人をコントロールする場として

支配と捉えるか

 

組織を人をコントロールしない場として

調和と捉えるか

 

幸福を得るための姿勢でいるのか

 

幸福という姿勢でいるのか

 

調和(全体性)のなかに

個々の人間性(全体性の一部)が存在し

環境が作られる

 

支配(全体性)のなかに

個々の人間性(全体性の一部)が存在し

環境が作られる

 

日頃考えないことを考えよう

 

自分の心と意識を俯瞰する