自分自身や人を「観察」することを意識しよう

すぐれた人の話を聞くより

すぐれた人を観察しよう

 

人の話を聞くより

人を観察しよう

 

自分自身もしかり

 

自己観察で意識してほしいのが

今の状況でどんな感情が湧いているか

 

それによって

今の状況をどのように理解しているか

 

環境や人のせいにしようとしているか

 

エゴ(内なる獣)が出ていないか

 

とくに不快な状況に陥ったとき

 

ここで名著『人を動かす』からの

以前も紹介した一節

 

「最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはならない

 

不快な状況に直面したとき

まずあらわれてくるのは

自分の立場を守ろうとする本能だ

 

気をつけねばならない

 

冷静にかまえ

最初の反応を警戒する必要がある

 

あなたの最悪の人がらが突出し

最善の人がらが隠れてしまうかもしれないのだ」

 

すぐれた人はよく論破しようとする

 

政治家さんや評論家の人も同様

 

論破してどうするの?

 

相手が「はい、間違っていました」と認めますか

 

素直に認めた人を見たことがない

 

それ以上に感情的になって反論してくるだろう

 

論破は自己満足にすぎない

 

自分の自己重要感を満たすだけで

何も変わることがない

 

何せ

あなたの考えは間違っているから

正してあげようという上から目線

 

理屈で人の考えを変えさせることしかできない人が

著名人はとくに多い

 

理由はさまざまだろうが

突きつめれば答えは同じ

自己重要感を満たすためだろう

 

もちろん

本人にその自覚はない

 

ある意味

相手を変えさせる目的よりも

論破はビジネスとしては成り立つからでもある

(ここら辺のところは分かる人には分かるだろう)

 

相手がどうやったら分かってもらえるのか

考えてみよう

 

理屈だけでなく

見えない感情的な部分も含めて考える

 

そうしないと

感情的な論争は不毛な論争でしかない

 

それには心穏やかなときに

自分と相手を「観察すること」が必要となる

 

「理解し理解される」

 

これは原則だから

 

目的は論破ではなく

お互いがよりよくなろうという姿勢だ

 

社会をよりよくしようとする

共通意識はあっても

ミクロ(個人的なプライドや感情)が

その目的を失わせてしまう

 

プライドの高い人の集まりにおいては特にそう

 

このコロナ禍における専門家集団もそう

 

公的機関のエリートたちもそう

 

そういう場に

間違いは誰にでもあるという環境こそ

弱さをさらけ出す環境こそ

最も必要な環境

 

そうでなければ

そういう人たちの暴走が止められない

 

間違っている意識があっても

責任と非難を恐れて自己保身に必死になる

 

当人事だけならまだいいが

多くの人にまで大きな悪い影響を及ぼしてしまう

 

これはエリートたちに限らず

誰もが陥るバイアス

 

あなたの良い心の状態を維持することは

相手を理解しようとする思考力が高まるから

自分や相手の本当の相互理解につながっていく

 

そのための前提を理解して準備しておこう