環境問題はだれのためにある・・・?

地球温暖化問題が

いかにビジネスに利用するための手段になっているかを

見ていこう

 

地球温暖化問題も

グローバル企業にとっては

無視していいようなビジネス展開をしていることは

ご存じだろうか

 

まずは

誠実な科学者の視点から前提を学んでいこう

 

本題はここから

 

科学的に正しいことは正しく

商業的に売りたいからとウソを言うのも

もちろんダメだが

反対に問題のないものをウソのデータで糾弾し

社会から追放すると

こちらも犠牲者を出すことになる

 

1960年代から人類は

「自分たちのやっていることに問題はないか」という

疑問に取りつかれ

殺虫剤DDTの追放に始まって

農薬、食品添加物人工甘味料など薬剤に関する疑問から

ダイオキシン環境ホルモンにまで発展した

 

一方

資源の枯渇、大気の汚染、ゴミ問題などからは

節約運動、大気汚染防止、分別リサイクルなどに発展した

 

しかし

このような環境問題のほとんどは間違いであった

 

歴史的に見ると

「思想から始まった科学」のほとんどが間違いであり

多数の犠牲を伴ったのは事実である

 

典型的な例が

ナチスドイツによるユダヤ人の追放

(人種に関する思想から科学へ)

ソ連共産党によるルイセンコ事件

(共産主義の体制の下で小麦を育てるとよく育つ)などであるが

ユダヤ人の追放はアウシュビッツの悲劇を生み

ルイセンコ事件では多くのまともな科学者が

シベリア送りとなった

 

思想が先行する科学は

その思想が政府や社会運動と連携することが多い

 

それはもともとそのような思想が誕生した社会的背景があるからだ

 

そして

権力と結びついた科学はその力を発揮し

残忍な結果に陥るのが常である

 

環境問題の多くもそうで

なにかに的をおいた追放運動は

メディアのあおりもあって激しさを増し

徹底的に増悪を醸し出す

 

そして

正しく地道に研究している研究者を学会や社会から追放していく

 

私も大きな学会で

「リサイクルは余計に資源を使う」ということを発表したら

会場から「売国奴!」とヤジを飛ばされ

同時に別の会場で発表した学生は

つるし上げられて真っ青になって帰ってきた

 

しかし

地球温暖化の問題が取り上げられる前は

誠実で地道に研究している研究者にも救いがあった

 

それは

社会が騒ぐのは一時的で

じっと我慢をしていればそのうち

吹き荒れた逆風が収まってくるということだった

 

社会が飽きるということもあるが

なんといっても科学だから

事実がはっきりしてくるということだ

 

たとえば

リサイクルは現実に実施されないし

ゴミもあふれない

 

ダイオキシンも日本のように対策をとった国でも

まったく野放しの国でも患者が出ない

 

環境ホルモンではオスがメスになると言う事例が増えない

 

などである

 

だから

研究者は嵐の過ぎるまでじっとしていれば

なんとかなるという状態だった

 

そこで

環境運動も変わってきて

「一世代でははっきりしないことを大袈裟に言う」

という方針に転換した

 

それが

地球温暖化」という環境問題だった

 

一部の学者やマニアの話題になっていたころを除けば

地球温暖化が公の議論になったのは

1988年6月23日のアメリカ上院公聴会だった

 

この時

アメリカ航空宇宙局(NASA)のハンセン部長が

地球が温暖化するという仮説を議員に向かって説明し

具体的な数値を発表した

 

それによると

もし世界がこのまま二酸化炭素(温暖化ガス)を

当時と同じスピードで出し続けたら

世界の気温は2000年には0.4℃

2020年には1.0℃以上上昇し

大変なことになると言い

グラフ(理論計算)を提出した

 

そのグラフを見て

アメリカ上院の議員は大変だということになり

その年のうちに国連に

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)ができた

 

しかし

今となってはその予測は間違っていた

 

2000年には0.4℃上がると予想したが

現実には0.04℃と10分の1

2017年には約1.0℃と予想したが

0.2℃しか上がらなかった

 

科学の計算に慣れない人は

「それでも少しは上がっているじゃないか」と言うが

専門的には全く違う

 

気温を左右するのは

二酸化炭素以外に

太陽活動、空気中の水分

雲の量など多くの原因があり

計算値と2倍も違ったら

「もともと前提が間違っている」ということになる

 

つまり

1988年にNASAが予想した科学的な仮定

(方程式、数値、考え方)などに欠陥があったことを示している

 

しかし

温暖化関係の学者は

どこが間違っていたかを指摘することができなかった

 

そこで

ハンセン部長のように

「現在から30年後までをグラフで示す」という方式をやめて

「100年後に何度上がる」という言い方に変更した

 

100年後に4.8℃上がると

NHKが報道したのを聞いたことがあると思うが

なぜ「100年後」と言っているかというと

誰も計算の間違いを事実で指摘することができないからだ

 

そして

1988年の間違った予想のグラフは隠され

全く出てこなくなった

 

私がグラフを示して間違いを指摘すると

「温暖化懐疑派」というレッテルを貼るという

作戦に出たのだ

 

日本社会も

そして環境を大切にするという人も

温暖化するというあまり学問的ではない話に

なぜ疑問を持たないのかといつもいぶかしく思う

 

なんといっても

現在は第三氷河期時代で

地球がとても寒いことぐらいは

中学校の理科で習うだろうし

地球ができたときに

大気は二酸化炭素がほとんど(95%)だったことも

おおよそは知っているだろう

 

だから

恐竜のいた時代でも

二酸化炭素が数パーセントあったのに

それでも生物は繁栄していた

 

それが0.04%の二酸化炭素

100年で0.05%になるからといって

そんなに大きな変化が訪れるのか?と

質問ぐらいしないのかと思う

 

まして

いくら地球環境が大切といっても

日本は四方を海に囲まれた島国だから

空気が少しぐらい温まっても

気温が上がるはずもない

 

大陸は熱容量を小さく

寒暖差が大きいが

海洋性気候は海の熱容量が大きいので

気温の変化が少ないことなどは

日常生活でもわかるし

小学校のころに習う基本的な気象現象である

 

今日はここまで

 

復習を含んだ内容だが

環境問題について

前提知識が乏しい自身にとっても

分かりやすく理解できること

 

思想が先行する科学ということからも分かるように

科学を利用して「知らないこと」をいいことに

多くの人を信じさせて

思惑(エゴな目的)に導きたいだけの話

 

人は自分事になるまで関心が湧かないし

知らないことを

そうだと言われれば

権威と政府のお墨付きがつけば

より信じてしまう

 

国を挙げて取り組むようなプロパガンダであれば

新型コロナワクチンも自然と納得しものになるし

脱炭素も自然と納得したものになる

 

要は

「知らないが仏」状態だということ