悩みや問題、不満を行動エネルギーに変換しよう

 日常すべてに満足している人はそうそういないだろう

 

こんなはずじゃなかったと思っていることも多いだろう

 

人によって大小はあれど、悩みや問題は尽きないもの

 

そもそも悩みがない人はこの世に存在すると思いますか?

 

すべてに満足している人はいると思いますか?

 

満足する基準は人によって違うことだろう

 

自分の思い通りになることが満足することなのか?

 

お金があまりあるほどあることが満足することなのか?

 

しかし

その考えであれば

自分の満足の基準は他からもたらされたもの

或いは

もともとあるものが前提となっている

 

そもそも

誰もが自分にとって都合よい環境や才能を選ぶことはできない

 

常に

与えられた環境とそのときの限られた資源を生かして(知恵を絞って)

自ら満足できるように「よりよく」改善して変えていくしかない

 

しかし

果たして現状に満足することが自分にとっていいことなのだろうか

 

悩みがないことがいいことなのだろうか

 

現状を受け入れて

自ら「よりよく」していくために一つ考えてみよう

 

心理学者のアルフレッド・アドラー

「人は誰もが等しく同じことを経験したり

  客観的な世界に生きているわけではなく

  自分自身の興味、関心に従って世界を意味づけ

  そのようにして世界を知るようになる」と述べていru

 

当たり前の話だが

自分の知らない世界は知りようがない

 

しかし

確実に自分の知らない世界があることは誰もが分かること

 

自分の基準、視点がすべてではないはず

 

知識の巾や世界観を広げれば

同じような悩みや問題を解決している人から学ぶこともできる

 

今のご自身の限られた世界観で満足する状況になり得るかだ

 

つまり

ほとんどの原因は生まれ持った環境や才能(遺伝)によるもの以上に

悩みや問題は自分自身の知識不足(考え方も含む)と行動不足によるもの

 

突き詰めると

それらの不足の根源は日々の「心の問題(心のケア不足)」によるもの

 

ストレスを溜めた状態では被害者意識等々

自分以外のせいにするもの

 

その悩みや問題は

自分の世界観では解決できないから起きている

 

現状のやり方で結果はすでに出ているにも関わらず

違う結果(望む結果)を望むことはできない

 

過去の培った世界観で歩んできた結果が「現状」だから

 

もちろん

自分だけの問題でもないかもしれない

 

自分以外からもたらされた悩みかもしれない

 

しかし

これも同様

 

アドラー

「悩みのほとんどは人間関係によるものだ」とも述べている

 

人間関係がしっかりと信頼構築できていれば

相互理解できていれば、協力して解決しようとするはず

 

そのうえで大切なことは

良い人間関係が維持できるように自分の環境で

共有意識(目的)を周りとともにしっかりと維持することだ

 

例えば

失敗や間違いを指摘し合うのか

それとも補完し合うのかでは

バラバラ(個々の自己中心的な考えが中心となる)となるか

まとまったチームワークが形成されるかという

向かう方向性は大きく変わる

 

具体的に言えば

失敗や間違いを素直に認めて反省して改めようと

前向きにさせる環境、雰囲気にしているか

それとも、

いつまでも認めず、

言い訳ばかりで自己正当化することに

能力を発揮させる環境にしているか

 

現状は常に変化する

 

原因はさまざまだが

否応なしに環境も変化するし

自分も周りも年齢を重ねる

 

「できること」と「できないこと」が変わってくる

 

そうなると

悩みや問題も変わることもある

 

もしくはひどくなることもあるだろう

 

つまり

現状維持のままでは

退化していくことになる

 

言うなれば

現状に満足していない思いは

自分や環境をよりよく変化させないと悪くなりますよというサイン(警報)

 

もちろん

その思いだけでは何も変わらない

 

どんな環境だろうと現状を変えようとすると

周りからの「変化の抵抗」が壁として立ちはだかる

 

今までの慣れ親しんだ環境

培った居心地のよい環境を変えようするとどうなりますか

 

人間の脳の特徴の一つ「恒常性(ホメオスタシス)」によって

元に戻そうとする力は強い

 

前提(自分と人との関係性や環境など)を理解して取り組まないと

まず間違いなく現状の思い(不満)が残るだけだ

 

それでは

現状の不満(悩み、問題)を自分の能力向上となる良い機会と捉え直し

行動エネルギーに変換して

どうやって「現実的に」よりよく変えていけばいいのだろうか・・・