あなたの頭を使うパターンを一つ変えてみよう

今日は世の中の関心事がないものに

どうやって向き合っていくかについて

ひとつ考えてみよう

 

情報得る努力をしようと言われてもやりようがない

何を見ればいいかも分からない

といったものになる人もいるだろう

 

だから

面倒なこと

今まで関心がなかったことに対する

評価し決断に至るまでは

より早くより簡単に済ませたいという感情が湧く

 

まず

そうしている自分に気づこう

 

だからといって

今のままのやり方を否定しているわけでもない

 

要は

そこからどうやってパターンを変えるかとなると

そこに気づかないと変えようがない

 

今まで本を読んでこなかったのに

情報を得て理解し頭で考えることなんて

多分苦痛のなにものでもない

 

直感で分かりやすく説明してもらえるものに

飛びつくことも当然しても構わない

 

そうやって

自分がどういう判断評価決断パターンをしているかを

意識して観察してみよう

 

これを四六時中やるととても続くことがないから

ある一つテーマについて意識することでもいい

 

例えば

今のコロナ禍について言えば

ワクチンを打つことが当たり前のようになっているから

報道やニュースそして

周りの状況から判断して

接種しようと決めていたとする

 

しかし

少し立ち止まってもう少し深く調べてみよう

 

ネットでも雑誌でも本でも

専門家たちの意見をいろいろと聞いてみようと

巷に報道されない情報に耳を傾けてみる

 

専門家に知り合いがいなくても

今ではネットでいくらでも調べられる

 

溢れる情報のなかで

どれを選ぶかを考えるとこれまた

時間がかかるから

 

思いつく限りをパッと調べる

 

たとえば

そもそも「ワクチン」とは何か

今回のワクチンと今までのワクチンとの違い

そしてそれに対する

肯定派の意見と否定派の意見を理解する

 

ここで注意が必要なのは

肯定派だろうと

否定派だろうと

統計や分析の見せ方をどう示しているか

 

全体像を見せずにある部分を切り取ったもの

 

総計だけみせて中身(内容)をみせないもの

 

分母を多く見せる

 

分子を多く見せる

 

などなど

 

こういうものは

まず基礎的知識がないなかで

しかもどんな分野の専門家によっても違ってくる

 

だから

無から思考するのはまずもって

難しいだろう

 

生涯をかけて

知識の巾を広げることは

結局のところ

あなたとあなたにとって

大切な人たちを守ることにつながる

 

地道な活動であり訓練の賜物でしか

身につかないもの

 

話は少しそれたが

もう一つ全体像を考えてみよう

 

マクロ的に考えれば

そもそも「ワクチンを接種する必要があるのか」

 

これくらいのことを調べて理解するのに

どれくらいの時間を費やすだろうか

 

途中で面倒になって止めるかもしれない

 

そうであれば

それくらい調べて考えることに慣れていない

今の自分であることと受け入れよう

 

そこから

今からそういう訓練しようと思うのか

それとも

頼れる人、信頼ある人に聞けるルートを構築するのか

 

それとも

今までの意思決定を変わらない

 

どうするかはあなた次第

 

そういう手順(プロトコル)を決めていたほうが

その時になって安易な決断するよりは

よっぽど穏やかに決断できるだろう

 

そうすれば

それが自らの選択した決断として

その結果

エラーが起こったとしても

受け入れられる心が持てるようになるだろう

 

前もって考えておくとはそういうこと

 

例えたワクチンはあくまで例えであって

 

今の社会についてでも

人間関係についてでも

問題になりそうなこと

自分でテーマを決めて取り組んでみよう

 

少なくとも心が安定したときに

そういうプロトコルをつくっておかないと

まず「よりよいパターン」には変えられない

 

そのとき

その瞬間になれば

感情優位で理性が劣勢になるから

同じパターン(歴史)を繰り返す

 

それが

習慣(悪い癖)というものだから

 

それが

無意識の力(内なる獣)だから