目的が自己重要感に変わるとき

人は「貢献」という言葉に

心が惹かれる

 

社会に貢献すること

 

地域活性化

 

そのために何をするか

 

そこに参加する

 

或いは

 

寄付する

 

それでは

その行為の文脈を考えてみよう

 

ずっとそういう気持ち、信条を持って

続けることができますか

 

例えば

何かの事業に失敗して

借金を返すのが手一杯

 

或いは

経営者に限らず

自分の生活が手一杯

 

家族の養育に手一杯

 

そんなとき

貢献したい気持ちはありますか

 

或いは

その苦しい家計の中で

寄付をする気持ちになりますか

 

そういう人は稀かもしれない

 

身近な人にもそうそういないかもしれない

 

それでは

普通に生活できて

趣味も持てて

家族みんなが相応に生活できている

 

そんなとき

貢献したい気持ちはありますか

 

もちろん

ある人もいれば

ない人もいるだろう

 

どちらが多い少ないということは

ここでは問わない

 

世界を見渡せば

自分より生活水準が高い人もいれば低い人もいる

 

自分の状況によって

寄付することもあるし

貢献することに参加することもある

 

しかし

たいていは一過性であって

自分事が関心事

 

状況が変わっても

目的はたいていが

今の自分を満たすために変化している

 

目的が貢献することより

貢献することで

自分が認められること

気持ちよくなること

心地よくなること

 

自己重要感を満たすために

貢献しているにすぎない

 

もちろん

最初は本当に貢献するためだったかもしれない

 

 

いつの間にか

目的が自分の心を満たすために変わること

 

この世の中は

そんな自己重要感を満たす人であふれている

 

 

人間は自分事が一番の関心事だから

 

それで社会がよくなるのだろうか

 

世の中に

人に

無関心のままで

自分自身が今より「よりよく」成り得るだろうか

 

今やっている目的に

疑問を持ってみよう