プランデミックをご存じですか・・・?

自身が今学んだことを

そのまま書いているので

あとは

あなた自身が情報を

どう解釈し

世の中の見方を捉えて

自分の頭と心に植え付けておくか

どうすれば、自分も含めた社会が

よりよくなると考えられるか

 

さて

プランデミックの話はご存じでしょうか

 

※プランデミックとは計画されたパンデミックという意味

 

日本ではコロナは

自然によってであり

人工的ということも報道されないし

武漢という言葉も全く報道にない

 

ファウチの話も出てこない

 

より大きな巨大機構である

ビッグファーマだけでなく

軍やCIA含んだ機構で

武漢で機能獲得実験をやらしていたことは

アメリカの言説では進んでいるが

日本ではワクチン以前の由々しき問題として

国会でも取り上げられることはない

 

そんな状態では

正しい見方ができるわけもなく

周りの同調圧力に屈してしまう

 

自分の視点に

ここからの話を参照、加味した考え、意見を持って

周りの同調圧力に屈しない

よりよい意思決定や選択をしていこう

 

ここから本題

 

2021年8月にアメリカでは

下院外交委員会調査報告書が知れ渡っている

 

これは人工説を裏付けるものとして

武漢で新型コロナが発生した経緯が

しっかりと書かれている

 

マイケル・マッコール筆頭理事が

「圧倒的多数の証拠によって

ウイルスが2019年9月12日以前に

武漢研究所から流出したことを証明している」と断言した

 

実は2019年5月には

PCR検査、機器等が武漢周辺で

非常に求められていたという情報もある

 

2019年8月下旬/9月上旬

1人以上の研究者が

雲南省の洞窟で収集されたか

WIV(武漢ウイルス研究所)の機能獲得実験で

つくられたSARS-CoV-2に誤って感染した

 

その後

武漢中心部を地下鉄で移動し

ウイルスを拡散した

 

2019年9月12日

午前2時から午前3時の間

WIVのウイルスデータベースはオフラインとなり

外部と遮断された

 

ここで隠ぺい工作が始まっている

 

2019年9月から10月

WIV本部周辺の病院付近の車の通行量や

COVID-19関連の症状に関する検索が顕著に増加した

 

2019年10月下旬から11月上旬

武漢で第7回

世界軍人運動会(ミリタリーワールドゲームズ)開催された

 

数千人の軍人のオリンピックだが

日本では知られていない

 

これは米軍からも400人参加している

 

各国のアスリートが帰国したことで

世界中にSARS-CoV-2が拡散した

 

ここから

軍人らが帰国したあとの経緯を見ていこう

 

2019年11月21日

イタリアのミラノの旅行歴のない4歳の少年が

COVID-19の検査で陽性となった

 

2019年11月27日

ブラジルで廃水のサンプルが収集され

SARS-CoV-2RNAの存在を確認された

 

2019年

スウェーデンの公衆衛生局は

国内でSARS-CoV-2への感染を確認された

 

これらは軍人運動会の影響と言われている

 

そして

この時期の世界軍人運動会をよく観察してみると

地理的に武漢研究所の周りを囲むように

選手村があったり

各競技場が配置されていた

 

留意すべきことは

世界軍人運動会は数年に1度

世界各国で行われていて

習近平国家主席の一存で

開催されるようなものではないということ

 

2019年12月1日になって

中国共産党が最初に「公式」に確認した

COVID-19の感染症例が出ている

 

2019年12月27日

フランスで旅行歴のない42歳の男性が

インフルエンザのような病気で

SARS-CoV-2陽性だった

 

彼の子供も男性が病気になる前に

同様の症状を示していた

 

もちろん

これも軍人運動会の影響と言われている

 

2019年12月29日

武漢市CDCは調査専門家チームを組織した

 

このころ

中国から日本へマスクの注文が殺到した

 

2019年12月30日

武漢の医師が「SARSコロナウイルス」の発生を

地元保健当局に報告した

 

国際保健規則で義務づけられた24時間以内の

WHOへの報告を中国政府は履行しなかった

 

ちなみに、復習として

WHOは中国に動かされているのではなく

一番のスポンサーであるビル・ゲイツによって動かされている

 

いわば

ビル・ゲイツ(グローバリズム勢力)の民間企業と言っても

過言ではない

 

よって

グローバリズム勢力の意向で

世界中に拡散するまで待てよという

指示があっても間違いではない

 

2019年12月31日

WHOジュネーブ本部は

武漢でのアウトブレイクをメディアレポートで知り

WHO中国事務所に調査を指示した

(本当か・・・?)

 

2020年1月1日

湖北省保健委員会が

SARSに類似したウイルスの研究を決めていた

遺伝子関連企業や研究所に

テスト停止とサンプル破棄を指示した

 

これも隠ぺい工作

 

2020年1月3日

中国の国家保健委員会は

各研究機関に「未知の病気」に関する情報を

一切公開しないよう

さらにサンプルを国が管轄する研究所に送るか

破壊するよう指示した

 

これも隠ぺい工作

 

ビル・ゲイツやファウチはもちろんだが

軍にしてみれば

疫病戦争に対する防御としての意義はある

としても

防御は攻めでもある(ビジネスにする)

 

そして

ビッグファーマも官民にマネーをバラまいている

 

9.11テロのころの炭疽菌事件あたりから20年間

アメリカを中心として官民軍一体となって

シミュレーションを続けてきた

 

それらの巨大機構によるパンデミックパワーが

中国を利用した

 

アメリカから発生するのは具合が悪いから

 

中国は中国で

その輪の中に入って

生物兵器として使えないかという

中国の思惑もあったのではないかと思われる

 

主犯はグローバリズム勢力だが

中国も共犯として隠ぺい工作に関わったことになる

 

2020年1月11~12日

上海の研究者が遺伝子配列情報をネットでリークした

その後、彼が所属する研究室は閉鎖された

 

そういった正しい行動する研究者もいたのはいた

 

2020年1月14日

習近平は中国保健省からパンデミック発生の報告を受ける

 

2020年1月20日

WIVの研究者がSARS-CoV-2が自然由来であると

主張する記事を提出した

 

2020年1月23日

中国共産党武漢市全体を封鎖した

封鎖前に推定500万人が市から脱出した

 

このころ

当時の安倍首相は春節

中国の皆さん、日本へ来てくださいと喧伝した

 

観光客が数か月で何百万人も来日したが

その中に武漢から来た観光客もたくさんいた

 

グローバリズム勢力としては

拡大させることが狙いだから

狙いどおりに

知ってか知らずか

日本の首相が動いてくれたことになる

 

2020年1月30日

1週間出し渋った後

WHOのテドロスが緊急事態宣言を発表した

 

いずれにしても

なぜ日本の国会、衆議院の委員会で

この調査報告をしないのか

 

議論が全くない

 

国民を

コロナ感染者数を増加の報道で煽り

感染抑制手段一択のワクチンを

どれだけ接種させるか議論しかない

 

日本の同盟国であるアメリカ合衆国では

本格的に議会で議論されているにも関わらずだ

 

日本の大手メディアは全くもって報じることもない

 

日本には調査能力がないのであれば

アメリカの下院委員会と一緒に

合同調査をやるべきだったのではないですか

 

あるいは

下院委員会を訪れて

ヒアリングしたらよかったのではないですか

 

といっても

アメリカ政治も

グローバリズム勢力が浸透した

かなり歪んだ政治なので

どこまでしっかりとした調査を

ヒアリングさせてもらえるのかは疑問が湧く

 

知れわたっては具合が悪いから

日本では報道されないということだから

 

日本の報道には今までの流れを知る情報が一切ない今の状況で

あなたはよりよい選択、評価判断をくだせますか

 

あなたにとっての仕事観は・・・?

日々

充実した仕事をしていますか?

 

充実した仕事は何によってもたらされると思いますか?

 

その要素として

大きく分けて二つある

 

ひとつは

やっていること自体に意義を感じているか

あるいは好きかどうか

 

ふたつは

その場の良い人間関係を築けているかどうか

 

「環境が人を作る」と言うが

その環境(雰囲気も含む)を作っているのが

何よりその環境にいる先人たち

 

集中して気持ちよく仕事に打ち込むためにも

人間関係、信頼関係はとても大きな要因となる

 

といっても

これらはすでに備わっているものでもなく

周りの協力も得ながら

自ら築いていくもの

 

そうはいっても

仕事に意義を見つけることはできるのか

 

仕事を好きになるとはどういうことか


そして

同時に人間関係も良好に保てるにはどうすればいいか

 

ひとつ考えてみよう

 

人によって得意不得意がある

 

不得意なことは克服したい気持ちがあっても

なかなか克服するのは難しいもの

 

嫌いな感情は嫌いな感情のまま

 

その感情のままを理性で抑えながら

不得意なもの、自分の弱みを克服することができますかということ

 

多くの人の認識として

「人は誰でもほとんどすべてのことにおいて

  訓練すれば能力を発揮することができる」

「誰にとっても最も成長の余地があるのは

 その人の一番弱い分野である」と思っていないだろう

 

それを考え直してみよう

 

「人の才能は一人ひとり独自のものであり  永続的なものである」

「成長の可能性を最も多く秘めているのは一番の強みとして持っている分野である」

 

つまり、自分の強みとは何か

 

もっと言えば

自分の強みを自覚して

弱点と折り合いをつけられるくらいまで

その強みを活かしきること

 

といっても

自分の強みが何かが「簡単に」「すぐに」分かることはない

 

それに

自分の強みは何かを教えてくれる人も

学ばせてもらえる場もない

 

加えて

たいていの自分の強みは他の人が難しく感じることを

当たり前のようにやっていることなので

自分で気づくことさえも難しいもの

 

自分の強みを自覚し活かせる場も

何より「失敗と成功の不連続な意識した経験量」で

分かるようになりもの

 

今あるもの(能力など)

今ある環境(そのときでき得る範囲)から

よりよい方向へ飛び出すための

「思考錯誤」と「試行錯誤」をしながら

経験して培ってきたプロセスを歩んで

初めて自覚し活かせるようになる

 

その経験量がその強みの確信へ変わることで

その後の環境変化や想定外なことへの

適応力の向上にもつながる

 

初めから「これだ」というものが分かることはない

 

とはいえ

そのための場数を踏む経験よりも

即日性と確実性で承認欲求(認められたい、評価されたい)を求めるのが

人間の性(さが)

 

つまり、

ない努力でスマートに効率よくやることを求める

 

それをコントロール、抑制しながら

自分の強みを自覚し

活かせるようになるには

紆余曲折でぐにゃぐにゃした

そんなプロセスを続けることでしか

身につけられることはない

 

だから

望む結果を得ることに充実感を得るのではなく

そんなプロセスを歩むことそのものに充実感を感じられる自分にすること

 

そんなプロセスだから

思うようにいかないことや想定外のことも往々にしてある

 

不快な状況、問題等も普通に起こりうることだろう

 

問題や悩みのほとんどは

人との関係性によって起こりうるもの

 

もちろん

そのときの能力の限界によって

壁が立ちはだかることもあるだろう

 

そんなときでも大切になるのが環境

 

もちろん

周りに対する自分自身の取り組む姿勢や行為にも

その環境は関わってくる

 

それが「良好な人間関係」

 

そして

物事を成しえるための「環境創り」で最も大切なことは

心理的な安心」があるかどうか

 

心理的な安心」とは

その環境(職場など)内での信頼感のこと

 

「どんなにヒドイ失敗や恥ずかしいミスをしても

  この仲間ならバカにされないし、適切に助けてくれる」と思える感覚を意味する

 

人間は感情で動く動物

 

人の間違いや失敗をいちいち指摘したりされたりする関係性でお互いどう感じるか

 

自尊心を傷つけあって

失敗や間違いを素直に反省し

改善していこうと思って行動に移せるだろうか

 

当然ながらやる気をなくすことばかりになる

 

お互い様という気持ち(尊重しあう気持ち)と

協力し合う気持ち、自分の弱みを補完しあう気持ちこそ

自分も周りも充実した気持ちになり

遣り甲斐を持って自分の強みを活かせるし

リスクを伴う新しいことにもチャレンジできるもの

 

そのうえで

仕事に対する姿勢(考え方)はとても大切

 

仕事は人間の心を映し出す鏡

 

仕事が粗雑な人間は内面も粗雑

 

退屈そうに仕事をしている人間は

仕事に退屈にしているのではなく

自分自身に退屈しているだけ

 

つまらない仕事でも

丁寧に誠実に取り組めば

人を感動させ動かせることができる

 

仕事というのは

自分の心の状態を映し出すもの

 

嫌な仕事なんか

そもそも存在しない

 

仕事が嫌な人間がいるだけのこと

 

嫌な仕事をやらされることになれば

言い訳を探したがる

 

そういう人は仕事のことを

自分を試すチャンスとは見ずに

自分に与えられた罰だと考えてしまう

 

そんな考え方であれば

仕事はつまらなくなってしまうし

何より周りの人に

どこかで信頼を失うような態度に表れる

 

信頼を得るには時間を要するが

信頼を失うのは一瞬だから

 

それでは

自分の強みを意識して

充実したプロセスを歩めるようには

どうすればいいのだろうか・・・

 

自分の「心」と「意識」は誰のもの・・・?

自分の「心」と「意識」は

誰のものでもなく自分のもの

 

「心」と「意識」をよりよく使えれば

人はよりよく変わることができると

自身はずっと思っている

 

人は変われないのではなく

「心」と「意識」を自分以外に奪われていること

自分のものにしていないのが問題であり

自分で変われない自分にしているだけ

 

それらを取り戻すための

変わるための

ステップを踏んで

プロセスを歩める意識と心にしていこうとしているどうか

 

だから

日常の人との関係性や環境や考え方は

とても大切なこと

 

なぜなら

意識的にも無意識的にも

人の影響は日々受けているから

 

誰とも会わず過ごすことも

人と会わずとも

ネットなど情報から常に目と耳に入ってきている限り

(これも影響受けるひとつ)

影響を受けない人なんて皆無だろう

 

影響を受けることで

何を感じ

どう解釈し

どう考えて

自分のなかで

意識的にも無意識的にも

整理しているか

(受け入れる、拒否する、無視する、アップデートするなど)

 

また

その影響によって

日常のあらゆる刺激に対して

自分を大きく見せたり(話を盛ったり、知ったかぶり、うそをつく)

自分を小さく見せたり(被害者意識、自己正当化、現実逃避)

自分の反応(行為)の仕方を変えていることも大いにある

 

それをやっていること自体がいい悪いということではない

 

それを自分で俯瞰(自覚)できているか

 

それがなければ修正も改善もできない

 

自分をよりよく変えるとは

できるだけ

人より自分で気づけるようになったほうが

簡単に変えやすい

 

人によるかもしれないが

人からバカだと言われるより

自分のことを自分でバカだと思うほうが

どうですか

 

嫌な気持ちにはならないはず

 

誰にでも覚えがあるだろう

 

もちろん

人からの指摘に素直に耳を傾けられるようなることも

自分をよりよくしていくために必要なステップ

(心と意識がよりよいほうへ向いているときだから)

 

自分の心と意識を使った

自分の意思決定は

心の安定感が維持できる

(日々の充実度を増す)

 

何にせよ

承認欲求の追及は

人に「心」と「意識」を奪われている状態

 

といっても

承認欲求は内的動機づけとして

精神的なエネルギーとしては必要なことだから

全否定をすることでもない

 

そればかりでは

自分をよりよく変えるのは難しいということ

 

ただ

目的の質と意識の高い内的動機づけにできれば

使命感、貢献=自己重要感にはできると思う

 

自己犠牲以上に

やることに意義を感じる人は

少ないとは思うが

確かに存在する

 

日常のなかで

人からは自己犠牲に見えても

本人は当たり前のようにやっている

 

日常のなかで

人からは努力していると思われても

本人は当たり前のようにやっている

 

そんな「心」と「意識」になっていますかということ

 

そういう人を目のあたりにして(刺激を受けて)

あなたの影響の受け方(反応)はどうですか

 

そうすることがいい悪いということを考えずに

あなたが自然とどう反応するかを

まず自覚してみよう

 

承認欲求の

満たす手段や

満たす目的や

満たし方によっては

人間関係と環境と

自分の心のバランスも良くも悪くもなる

 

ここで

快進撃を続けている

メジャーリーガーの大谷翔平選手の

最新のインタビューのネット記事から

 

精神的な成長を感じる部分はという問いに

「いろいろなシチュエーションを経験できているのは

  そういう場数を踏むかどうかは大事なところではあると思うので  

  そこがメンタル面で助けてくれるところはあるかなと思います

  慣れの部分で大きいところかなと思います」

 

まさに

プロアスリートだからこうだではなく

誰もがそれが何であれ、どういう状況であれ

今よりよりよいものにするには

経験の数(場数)とそこから得ようとするものを

心と意識に刻んで次に活かすかどうかだろう

 

精神的な成長(心の筋肉向上よりも心の知性の向上)は

そのままあなたの日常に直結しているから

 

日常であなたは

「応援されること、励まされること」ありますか

 

あるいは

あなたが応援したい人いますか

 

そんな人たちに

影響を受けることありませんか

 

そういう環境こそ

そういう日常が

人のあら捜しをしたり

人のあら捜しをされたり

人の間違いや失敗を

指摘されるより

指摘するよりも

さらには

人からの承認欲求に求めて囚われて

振り回されるよりも

 

あなたの日常に

もっとも必要なことではないですか

 

心の栄養を

日々もらえるような

日々与えられるような

自分と環境にしていこう

 

そして

周りに関心を持って

周りに与えること、貢献することが

あなた自身を助けることにもなり

あなた自身の心の充実をもたらせるものになる

自分の心の弱さと向き合おう・・・

 自身の日常では

自分の心の弱さを自覚しながら過ごしている

 

そういうふうに日常で自分の心を自覚することありますか

 

なぜ、そうするかと言えば

何をするにも

日々の身体の健康やモチベーションの維持と

パフォーマンスを発揮するには

メンタル面の影響が大きいから

 

人間関係においても

自分の意思決定においても

「心」がどういう状態か(私は「心の作用」と呼んでいる)によって

自分自身や相手に対する行為や評価判断が変化する

 

その意味で

いろんな要素や状況があるとはいえ

突き詰めると

「心の状態」が環境の方向性を決めていると言っても過言ではない

 

つまり

その人の人間性を形成していく

 

例えば、考え方一つとっても

「よりよく知恵を使うか」

反対に

「悪いほうに知恵を使うか(いわゆる悪知恵)か」

 

あるいは

人間関係においても

「素直に認めるか、謝るか」

反対に

「保身に走るか、自己正当化するか」

 

常に外的な要因をどう解釈するかで

湧き上がる感情に心の作用が影響を与える

 

反対に湧き上がる感情が心に影響を与え

外的な要因に対する解釈(意味づけなど)も変わる

 

理性と感情()の相互作用によって

常に「心」は揺れ動いている

 

そのときの湧き上がる感情で人間性が変わるとも言える

 

報道でも日常でも

聞いたり言ったりしていないだろうか

 

「あんな人とは思わなかった」とか

「あんないい人があんなことをするなんて・・・」

などなど

 

なぜ人はそう反応するのか

 

もちろん

今までのその人への評価判断と違う行為をしたから

 

それを自分事に捉えて自覚できかどうか

 

日常でよくあることから思い出してみよう

 

たとえば

人の間違いや失敗に対しては

何か指摘したり

不快を感じたりするだろう

 

一方

自分の間違いや失敗に対してはどうですか

 

何かと自己正当化したり

自分以外のせいにすることはないだろうか

 

しかも

都合が悪いときの自分がどんな行為をするのか

ほとんど自覚することはない

 

また

そういう状況の陥ることを予期した対応をすることもできない

 

もちろん

要因はそれだけではなく

その時の環境や状況にもよる

 

究極的には追い込まれたり

不都合な状況によっては

自分の人間性を失う可能性を常に秘めている

 

名著「人を動かす」のなかに書いあること

「不快な状況に直面したとき

まずあらわれてくるのは

自分の立場を守ろうとする本能だ

気をつけねばならない

冷静にかまえ

最初の反応を警戒する必要がある

あなたの最悪の人柄が突出し

最善の人柄がかくれてしまうかもしれないのだ」

 

というように

誰しも最善の人柄と最悪の人柄の間を行き来しているということ

 

それを理性(経験で培った考え方)

感情の満たし方によって

心の均衡を調整しながら

自分の人間性を保っている

 

ただ

その保ち方や基準(心の負荷の耐性)

培った経験やもともとの性格(短気やのん気など)

その場の環境によって違うし

自分が感情的になったときのことを振り返ってみると

理解できるかもしれない

 

「心の弱さ」を自覚できるようになったとき

自身はとても楽に生きれるようになった

 

心が弱いこと自体が問題ではなく

心の弱さを放っておくことが

日常の行為に悪影響を及ぼしていくということ

 

誰しも

間違いや失敗はすることはあるし

自分の悪いクセで問題になることもあるし

触れられたくない苦手な部分もあるだろう

 

そんなダメな部分を含めた自分自身そのものを

受け入れられるようになれるか、さらけ出せるか

また、それらを日常で外的な刺激(人からの指摘など)によって

自分がどう解釈し、対処・適応していくかだ

 

人間の大きな欲求の一つに

心から褒められたい

認められたいという欲求がある

 

その欲求と「心の弱さ」は表裏一体

 

この欲求があるがゆえに

心の弱さを隠そうとしたり

感情的になったりする

 

それによって

生きづらくなったり

本来の能力が発揮できなかったり

人間関係が悪くなったりする

 

その時々に現れる人間性

大いに関わってくるのが「心の作用」

 

自分の心は見えない

気づかないだけに

その心を疎かにしがち

 

人と比較参照しながら

自分以外なもので不快な状況を捉えて心の均衡を保つことこそ

無自覚な「心の弱さ」によるものだとも言える

 

心の弱さを自覚して

その心を大切に扱わない限り

日常が充実したもの

心を楽に過ごせることはないと思う

 

大切なことは

揺れ動く心の振れ幅を小さくできるように

意識してケアしていくこと

 

そのために

外的な刺激に対する見方や

その場の環境、雰囲気(共有意識も含む)を整えていくこと

 

基本

人の無自覚な反応は

自分事が一番の関心事であり

自分視点で人や物事を捉え

自分を理解させようとする

 

しかし

心を楽にするためには

お互い様と思える視点(お互いが尊重できる関係性、相互理解)

互恵関係は欠かせない

 

そのためには

他人事を自分事のように関心を持つこと

相対的に物事を捉えること

まず相手を理解することに

日々、意識して努めることが大切だと思う

 

 そう

 日々の意識したそういった行為の積み重ねこそ

 相手があなたに対する評価

 存在価値、見られ方、態度、理解度を変える

 唯一無二の方法

 

 日々を幸福に感じるために

 

 ぜひ

 意識してみよう

お久しぶりです・・・ここを読んでもらっている方へ

久しぶりの更新です

 

ひとつお知らせというか

ここをせっかく読んでもらっているのに

更新がなかなかしていなくて

申し訳ありませんが

お知らせさせてもらいます。

 

実は

毎日更新しているSNS媒体があります

 

興味あれば読んでいただければと思います。

 

といっても

売込でも誘導でもありませんので

ご安心を・・・

 

ただ

書いている内容がウザいので

ドン引きするかもしれませんが・・・

 

facebookフェイスブック

「Tomoyuki Kamachi」を検索ください

 

そして

そのフェイスブックを読むにあたって

利用している自身の考え方と注意点があります

 

しかし

強制できる権利は自身にはないので

あくまで要望として

 

ここから

 

ひとつに

自分の自己重要感を満たすために

書いているわけではないので

「いいね」は一切不要です

 

二つに

誰でも読めるように公開しているので

ご自由に読んでください

 

三つに

友達を増やしたいわけではないので

友達申請も必要ありませんし

自身が他の人のフェイスブックを閲覧することも

基本ありませんのでこちらから友達申請することもありません

 

四つに

そうであっても友達申請されたい方は

とりあえず許可はしますが

友達となっている方も同様に

毎日あまりにウザい文章かもしれませんので

気が悪くなったなら

いつでも遠慮なくしたいときに友達削除してください

 

五つに

ご自由に読んでもらってあなた自身の解釈のもと

ご自身の役立つことなら頭だけに留めることなく

日常のそれを実際に反映する意識を持ちましょう

 

六つに

申し訳ありませんが質問や疑問は受け付けません

あなたの理解度、解釈度をよく分からないし

理解できないので疑問があったとしても

説明や答えようがありません

 

(あなたの解釈がよりよいという考え方で、あなたの日常のなかで

理解を深めてください)

 

これが自身がフェイスブックを利用する考え方として

毎日更新しています

 

できれば要望を受け入れて頂ければと思います

 

ということで

ここに興味が持てているなら

facebookをよかったら覗いていただければと思います

 

としても

ここも不定期に

これからは更新する予定です・・・

 

最後に加えて

 

それでもなお

友達としていていただけるなら

同志(フェイスブックにおいて)として捉えさせてもらいます

 

かといって

集まることで何かをしたいのではなく

(別空間のなかで集まっても自己満足でたいてい終わるし

それ以上に日常の共有意識したよりよい行為と環境がとても大切)

日常を高い意識をもって

自らよりよくなる意欲を失わず

実際の思考と試行で

トライ&エラーを繰り返しながら

周りとともに良い影響を与え合える関係性を

構築できるようにしていってもらえたならという希望です

 

あなたの日常にこそ

社会全体がよくなっていく要素がいくらでもあるからです。

 

誰かがやってくれることではなく

自ら失敗だろうと間違いだろうと

無駄な努力だと思われようと

それを受け入れて実際やる行為の一貫した連続性自体に価値があります

 

それを忘れないようにするための

一つの場所だと思ってい頂ければと思います

 

承認欲求が満たされないことが多いかもしれませんが

たいていはそんな人は

誰かが声を出せずとも見ているし

認められていますから

 

それに承認欲求を満たさなくても

高い意識を持ってやり続けることこそ

あなたの存在価値はさらに高めると

私をそう信じています

 

加えて

自分を薄めること(承認欲求に流されることなく)は

人生に最も必要な「自制心を鍛えること」

つまり「心を育てること」のひとつとして

あなたの能力向上と日々の充実感、幸福感にもつながります

 

せっかくのご縁をいただいたあなたとともに

日常で接することは全くなくとも

共有意識をもって一緒に

成長(能力向上)していけたらと思います

 

 

 

 

 

 

後悔したくない・・・

日常生活で自分がやってしまったことにやらなければよかった

あるいは

自分がやらなかったことにやっておけばよかった

と思うことないですか?

 

後悔したくはないとは思っても

ついつい後悔するような選択をすることはないですか?

 

たとえば

やらなきゃと思っていても先延ばししてきた結果

痛い目あってしまったとか

 

やる気満々でやってみたが

思うようにいかずやらなければよかったとか

 

何にせよ

自分の選択決断したことで

その結果を受けて後悔することはありませんか

 

なぜ

人は後悔するような行動をとってしまうのか

 

しかし

思い描く人生を実際に送れることが後悔しない人生だと思っていませんか

 

後悔しないようにやりたいことを

やりたくないことをするにはどうすればいいか

ひとつ考えてみよう

 

人間の脳はパソコンのようなデータベースのようになっている

 

そのデータベースの中に

今まで生きてきた中で見聞き、体験した情報が入っている

 

例えば

問題や悩みを解決しようとするとき

自分のデータベース(脳)の中に入っている情報と

照らし合わせながら考えている

 

ということは

同じような問題や悩みでも

脳内のデータベースに入っている情報によって

思いつくことやそれに伴う対処の仕方が

人によって違うことになる

 

だから

脳内データベースに入っていないことは

理解もできないし

実感(イメージ)もできない

 

このように人間は

周りで起こる物事や見聞きしたことを

理解したり、判断したり、考えたりするために

常に脳内データベースに入っている情報と照らし合わせている

 

「収入を上げたい」

 

「職場の人間関係を改善したい」

 

「もっとパソコンを使いこなしたい」

 

「素敵なパートナーを見つけたい」

 

「もっときれいに(格好よく)なりたい」

 

という思いがあっても

 

自分の脳の中にそれを実現させるための情報が入っていなければ

実際に行動に移せることができない

 

このように自分の今まで培った世界観(情報量、知識量、能力)には限界がある

 

これを知らずに

すべてを自分の世界観で評価判断し

できない自分を責めたり

落ち込んだり

不安や恐怖心が湧いたりする

 

そうなると

自分の行動力のなさに後悔してしまうし

ときに周りに八つ当たりすることもあるだろう

 

つまり

自分自身の知識不足と行動不足によって

ネガティブな状況に自分で追いやっているようなもの

 

その時の状況、結果に対する自分の捉え方が

メンタルに大きな影響を及ぼしている

 

自分の世界観に限界があることを自覚すれば

すべてが予想どおりに物事が展開することはまずないと

思えないですか

 

それでも

自分にとって不都合な展開になると思って

評価判断、決断することはしないはず

 

しかし

世の中のことすべて把握できるほどの情報量を持ち合わせてないのが自分自身

 

だから

自分の評価判断、決断したものが後悔するようなことがあって当然のこと

 

それに過去の出来事自体は変えようがない

 

大切なことは

その時の状況の捉え方をどうするか

 

後悔はすべて過去に対する世界観(メンタル面も含めた)の限界に対する自分の評価

 

自分の思いと違う状況、結果、人の評価(目や声など)を

気にしていること、囚われていることこそ心の問題

 

事が起こってしまったことに対する評価判断はしても

次にどうするかを考えようにも

不快な結果を気にするがゆえに

後悔という思いがぬぐい切れない

 

だとしたら

その考え方では生涯拭えることはないだろう

 

ある本に書いてあったことだが

 

「人生とは良い思い出づくり

 人生最後にどんな財産も意味を成さない

 人生最後にどれだけ良い思い出が記憶に残っているか」だそうだ

 

自分なりに解釈すれば

楽しい思い出づくりよりも

日常で充実した日々をどれだけ過ごしているか

 

つまり

そのときの状況や結果に左右されることなく

それを受け入れて

現状のプロセス(日常生活や仕事や人間関係など)が

充実した気持ち(前向きな気持ち)になるように過ごせているのが

後悔のない人生となる

 

そのときのコントロールできない不快な結果より

プロセスを楽しめるようにすること

そこで大切なことは

自分の意思に反してやらされている感覚より

自分の意思決定でやれている感覚を常に持っているかどうか

 

つまり

どんな選択をしたとしても

自分で責任を負える

或いは受け入れることができる考え方を持っているかどうか

 

それに加えて

「心のあり方」が正しく保てているかどうか

 

それでは

結果よりプロセスに焦点を当てて

人生を過ごせるように

実際にどうすればいいでしょうか・・・

悩みや問題、不満を行動エネルギーに変換しよう

 日常すべてに満足している人はそうそういないだろう

 

こんなはずじゃなかったと思っていることも多いだろう

 

人によって大小はあれど、悩みや問題は尽きないもの

 

そもそも悩みがない人はこの世に存在すると思いますか?

 

すべてに満足している人はいると思いますか?

 

満足する基準は人によって違うことだろう

 

自分の思い通りになることが満足することなのか?

 

お金があまりあるほどあることが満足することなのか?

 

しかし

その考えであれば

自分の満足の基準は他からもたらされたもの

或いは

もともとあるものが前提となっている

 

そもそも

誰もが自分にとって都合よい環境や才能を選ぶことはできない

 

常に

与えられた環境とそのときの限られた資源を生かして(知恵を絞って)

自ら満足できるように「よりよく」改善して変えていくしかない

 

しかし

果たして現状に満足することが自分にとっていいことなのだろうか

 

悩みがないことがいいことなのだろうか

 

現状を受け入れて

自ら「よりよく」していくために一つ考えてみよう

 

心理学者のアルフレッド・アドラー

「人は誰もが等しく同じことを経験したり

  客観的な世界に生きているわけではなく

  自分自身の興味、関心に従って世界を意味づけ

  そのようにして世界を知るようになる」と述べていru

 

当たり前の話だが

自分の知らない世界は知りようがない

 

しかし

確実に自分の知らない世界があることは誰もが分かること

 

自分の基準、視点がすべてではないはず

 

知識の巾や世界観を広げれば

同じような悩みや問題を解決している人から学ぶこともできる

 

今のご自身の限られた世界観で満足する状況になり得るかだ

 

つまり

ほとんどの原因は生まれ持った環境や才能(遺伝)によるもの以上に

悩みや問題は自分自身の知識不足(考え方も含む)と行動不足によるもの

 

突き詰めると

それらの不足の根源は日々の「心の問題(心のケア不足)」によるもの

 

ストレスを溜めた状態では被害者意識等々

自分以外のせいにするもの

 

その悩みや問題は

自分の世界観では解決できないから起きている

 

現状のやり方で結果はすでに出ているにも関わらず

違う結果(望む結果)を望むことはできない

 

過去の培った世界観で歩んできた結果が「現状」だから

 

もちろん

自分だけの問題でもないかもしれない

 

自分以外からもたらされた悩みかもしれない

 

しかし

これも同様

 

アドラー

「悩みのほとんどは人間関係によるものだ」とも述べている

 

人間関係がしっかりと信頼構築できていれば

相互理解できていれば、協力して解決しようとするはず

 

そのうえで大切なことは

良い人間関係が維持できるように自分の環境で

共有意識(目的)を周りとともにしっかりと維持することだ

 

例えば

失敗や間違いを指摘し合うのか

それとも補完し合うのかでは

バラバラ(個々の自己中心的な考えが中心となる)となるか

まとまったチームワークが形成されるかという

向かう方向性は大きく変わる

 

具体的に言えば

失敗や間違いを素直に認めて反省して改めようと

前向きにさせる環境、雰囲気にしているか

それとも、

いつまでも認めず、

言い訳ばかりで自己正当化することに

能力を発揮させる環境にしているか

 

現状は常に変化する

 

原因はさまざまだが

否応なしに環境も変化するし

自分も周りも年齢を重ねる

 

「できること」と「できないこと」が変わってくる

 

そうなると

悩みや問題も変わることもある

 

もしくはひどくなることもあるだろう

 

つまり

現状維持のままでは

退化していくことになる

 

言うなれば

現状に満足していない思いは

自分や環境をよりよく変化させないと悪くなりますよというサイン(警報)

 

もちろん

その思いだけでは何も変わらない

 

どんな環境だろうと現状を変えようとすると

周りからの「変化の抵抗」が壁として立ちはだかる

 

今までの慣れ親しんだ環境

培った居心地のよい環境を変えようするとどうなりますか

 

人間の脳の特徴の一つ「恒常性(ホメオスタシス)」によって

元に戻そうとする力は強い

 

前提(自分と人との関係性や環境など)を理解して取り組まないと

まず間違いなく現状の思い(不満)が残るだけだ

 

それでは

現状の不満(悩み、問題)を自分の能力向上となる良い機会と捉え直し

行動エネルギーに変換して

どうやって「現実的に」よりよく変えていけばいいのだろうか・・・