状況によって人がらが変わることを自覚しよう

誰もが自分の世界観で

他人との比較しながら

自己重要感を得られるような生き方をする

 

しかも無意識にだ

 

人との比較によって

幸福にも不幸になるというもの

 

人の目、声や行為

評価、うわさなどを気にしながら

自分の心を安定できるように

 

人が幸福と思ってもらえないものは

あなたは幸福の基準とはなり得ないですか

 

だれもが共感してもらえるものを

自分の幸福にするなら

生涯あなたは幸福を維持できないだろう

 

しかし

あなたが身近な人で

あなたより収入が多い人がいるとするなら

あなたはその人を気にしますか

 

比較しますか

 

そんなことを気にする人は

そんなにいるとは思えない

 

気にする時は

たいてい心に負荷がかかっているとき

しかも自らではなく

その比較という呪縛によるもの

 

収入に限らず

あらゆるものが

無意識(本能)の比較の呪縛によって

幸福を感じるときと

不幸を感じるときがあるだけ

 

そこに意思というものはほとんどない

 

ここで

デール・カーネギーの名著「人を動かす」からの一節

「不快な状況に直面したとき

まずあらわれてくるのは

自分の立場を守ろうとする本能だ

気をつけねばならない

冷静にかまえ

最初の反応を警戒する必要がある

あなたの最悪の人がらが突出し

最善の人がらが隠れてしまうかもしれないのだ」

 

というように

そのときそのときで現われているにすぎない

 

常に天秤となって

そのときにどちらが重いか軽いか

 

そういう自分に気づこう(メタしよう)

 

自分にとって本当の幸福とは何ですか?

 

ぜひ

そのときの幸福や不幸ではなく

より大きく考えてみよう

 

自分の人生の幸福とは何か

 

収入の多さですか

 

まあ

日常で考えることはないだろうけど・・・

価値観に沿って生きる意義を知ろう

環境の変化に不安を感じていませんか?

 

本当に コロナ禍であるかどうかは疑わしいが

不安な生活を送っている人もいるだろう

 

早くコロナ禍が終わらないだろうかと

思っている人も多いことだろう

 

ところで

コロナ禍が起きる前にこんな状況になると

誰が想像できただろうか

 

それによって

今までと環境が変わってしまった人もいる

 

しかも自分が望まない環境になってしまったかもしれない

 

そうなると将来に不安を抱くことになる

 

もっとも生活に必要な仕事も余儀なく制限されていれば

さらに不安も増すことだろう

 

一方で

話が暗い中でも以前と変わらず生活ができている人もいる

 

或いは

ピンチをチャンスにと考えてよりよくなっている人もいる

 

どうして人によってこんな違いが出てくるのだろう

 

才能

 

 

恵まれた環境

 

はたまた

他になにかあるのだろうか

 

これからの生活を

外的な変化に左右されることなく

生活をよりよくしていくために一つ考えてみよう

 

日常生活において

将来のことを考えながら

実際にそのための行動を日ごろからしているか

 

たとえば

それが貯金だろうし

或いは投資(株、NISAなど)かもしれない

 

さらには

健康を維持するために食事や適度な運動

 

他にも

資格取得のための勉強や技術向上や

生活向上のための情報収集や訓練など

 

これらは

ゼロがすぐ百になるようなものでもない

 

日頃の実際の相応のプロセスを経て

初めて自分のものになるものばかり

 

つまり

良い習慣を身につけること

 

しかし

頭では分かっていても

実際にやるとなると続かないものが多い

 

さまざまな要因があれど

一つの理由として

人間の遺伝子には「遠い未来」に

対応するシステムが備わっていないから

 

その一方で

今を生き抜くため

生存のための防衛システムが備わっている

 

その一つが「不安」という感情

 

進化論においては

すべてに存在理由があると考える

 

「不安」の機能は人類の進化においては

「アラーム」という役目だった

 

古代の狩猟採集民において

まだ正体があきらかではない生存の危機を察知して

事前に対策を取られるように「不安」を抱かせる

 

不安がなければ

未来の危険になすすべがなく

絶滅していたことになる

 

一方で

「喜び」や「楽しさ」といった感情がなくても

すぐに生存の危機には結びつかない

 

もちろん

楽しみがない人生など送りたくはないが

少なくとも人類の進化においては

ポジティブな感情よりもネガティブな感情のほうが

役立ってきたのは間違いない

 

不安はあくまで

目の前に迫った危険への対策をうながすための

脳のシステムによるもの

 

だから

未来にある危険に対してではない

 

そう考えると

現代人においては

不安は誤作動を起こしている状態

 

それを正すために

その遠い未来を心理的

今に近づける(現実味を帯びる)ようにする必要がある

 

では、どのように考えればいいか

 

自分の「価値観」に沿って

日常を生活していますか

 

実際の研究結果として

価値観に沿って生きている人ほど寿命は長くなっている

 

価値観が明確な人は

自然と健康的な食事と運動を実践しているという

 

さらに収入にも影響を及ぼしている

 

自分の価値観に従って日々を暮らす人ほど

年収と貯金額が多くなっている

 

この傾向は

人の性格や人生の満足度を考慮しても変わらない

 

現在の環境が恵まれていなくても

人生の価値観を強く持っていれば

年収も増えていく

 

価値観に沿って生きるほど日々の悩みは消え

自然と自分をいたわる行動が増える

 

外的な環境の変化に適応するために

まずは自分の「価値観」を見定めるべきこと

 

人生の目的や価値観という

自分軸がブレるから

外的な変化に振り回される

 

ずっと昔の狩猟採集民の人生の目的は

「生きる生む育てる」というシンプルなもの

 

その時点で未来の姿は確定し

次の行動に思い悩む必要はなくなる

 

ところが

ライフスタイルが複雑化した今日では

様々な行為に価値を見出すようになった

 

「有名になる」「好きなことして生きる」「日々を楽しく生きる」・・・などなど

 

人間の渇望するものである

自己重要感を満たすものが溢れている

 

価値観の多様化が問題なのは

選択肢が多すぎて迷いや不安が生まれ

自分の未来像をぼんやりとしたものに変えてしまうこと

 

選択肢が豊富な社会では

未来の姿はいくつにも分岐をくり返し

決してひとつに定まることがない

 

といっても

多くの人は「幸福になりたい」「認められたい」など

誰でも自分が何を求めているかは思いつくことだろう

 

しかし

本当の価値観とは

すべてが満ち足りた状態としても

やりたい気持ちが失われないもの

 

こんなふうに生きていきたいと

心から思えるような自分にとっての「人生の道しるべ」

 

それは何ですか?

あなたのエゴという権力にご注意を・・・

  自分の人間性は脆いと自覚していますか

 

  心に負荷がかかったとき

  間違ったとき

  失敗したとき

  損したとき

  心の状態が悪い時

  無意識(エゴ)が

  自分の人間性(感情)に

  働きかけることを

  心に余裕があるときに

  十二分に理解しよう

 

  やる目的は何かを

 

  人生の質を高めるには 

  自分や環境を自らよりよくすることだから

 

  たいてい人は

  より簡単に

  より楽に

  より安直なものに飛びつくから

 

  もちろん

  世の中には

  汗もかかず

  悪知恵を働かせて

  自分だけ利益を上げようとする

  知性の高い人もたくさんいる 

 

  そういう人の声にも

  惑わされずにしよう 

 

  そんな人が

  情報過多の中に埋もれる存在である

 

  フランスの哲学者ミシェル・フーコー

    「権力」は自分の外(警察、軍隊、政治とか)にあって

  自由を抑圧していると思っていることすべてがデタラメだという

 

  本当は

  「権力」は自分のなかにあり

  自分自身が自分を縛り付けている権力だということ

 

  人は自分は善で

  自分の外にある悪とたたかっていると

  勘違いしてしまう 

 

  自分を磨くことが

  人格者になることではない

 

  フーコーが言うように

  人は偉くなるほど

  自らの内なる権力から目を背け

  外に敵をつくって偽善を隠蔽しようとする

 

  自分なりに解釈すると

   人は思い通りになるほど

  或いは思い通りにならないほど

   自分のエゴから目を背け

  外に原因をつくって自己正当化するようになる

  自分の都合のいいように解釈する

 

  これが強くなると

  どんないい人(或いは優れた人)でも

  ばれなければ何でもありになってしまうし

  さらに強くなると

  犯罪にまで手を染めてしまう

 

  人は無意識レベルでは

  自分事が一番の関心事であり

  自分視点(基準)でしか見れないし

 (客観的に見ていると思っているだけ)

  人を理解することより

  人に理解されようと

  解釈、意味づけ、言動、行動する

 

  これはどんな場面、環境においても

  家族レベルでも

  組織レベルでも

  社会レベルでも

  個人レベル(エゴ)の集合体が

  同じようにそういう環境(文化)を作っていく

 

  人の中にある権力が

  都合のいい環境を育て

  都合のいい環境が

  人の中にある権力を肥大させるから

 

  しかも無自覚に

 

  それほど

  意識より無意識の力は圧倒的に強い

 

  それによって

  方向性も解釈も意味付けも

  すべてを変えてしまう

 

  だから

  一方向ではなく双方向つまり

  フィードバックし合える環境にすることは

  とても大切

 

  周りの声をしっかり

  良くも悪くも聴ける心を持とう

 

  周りにイエスマンを作らないこと

   (肩書や名声、上下、年齢にとらわれず、対等に接すること)

 

  見えるものすべてで考えないこと

 

  部分最適ではなく全体最適を考えること

 (周りとの関係性や一連の流れを考えること)

  

  などなど他にもいろいろあるが

 

  よりよくしていく環境や自分は

  お互いの(相互依存)

  自らの思考力と行動力によるものだから

 

  今の心地よい環境が

  本当によりよくなっていくのかを

  幸福の持続可能性なのかをよく考えてみよう

 

  自分を磨く意味を

  環境を整える意味を

  忘れないようにしましょう

世の中お金じゃないと心からそう思える自分ですか

経済学の世界では

「お金から得られる幸福」と

「その他のライフイベントから得られる幸福」のレベルを

比べる研究が過去に何度か行われている

 

たとえば

収入アップと結婚の幸福を比べた場合に

どちらのほうが幸せにしてくれるのかを比較している

 

具体的な結論をいくつか紹介していこう

 

仲が良いパートナーとの結婚から得られる幸福度の上昇率は

収入アップから得られる幸福より767%も大きい

(年収が平均値から上位10%に上昇した場合との比較)

 

健康レベルが「普通」から「ちょっと体調がいい」に改善したときの

幸福度の上昇率は収入アップから得られる幸福より6531%も大きい

(年収が平均値から上位1%に上昇した場合との比較)

 

離婚や失職による幸福度の低下率は

年収が3分の2も減ったときの幸福度の低下に匹敵する

 

つまり

がんばって世間でトップクラスの年収を稼ぎ出したとしても

良いパートナーとめぐり合う喜びや

健康の改善による幸福度の上昇レベルには

はるか及ばない

 

お金を稼いで幸福を目指すなら

まずは人間関係や健康の改善に

リソースを注ぐほうが効果は大きいことになる

 

引用はここまで

 

これをどう解釈、咀嚼しますか

 

その時の状況によるだろうが

少なくとも自分の心を大切にするならば

当然人間関係や健康の改善にリソースを

そそぐほうがいいだろう

 

だが人の状況にもよるのも確か

ある一定の収入があれば考えられることかもしれない

 

その収入基準も人それぞれだろう

 

結局

自分のフィルター(経験など)を通して考えることが

いちばん臨場感が湧く

 

お金があれば

欲しいものが買える

 

贅沢な暮らしができる

 

 

経験がなければ

そう考えるのが当然だろう

 

自由にお金を使える人なら

世の中お金じゃないということも理解しやすいだろう

 

しかしそれでもお金がすべてと思う人もいるだろう

 

一方でお金に困っている人が

世の中お金じゃないということを

反面的に思うこともあるだろう

 

しかしそれでもお金がすべてと思う人もいるだろう

 

そんな外的なもの(お金そのもの)での判断評価する経験こそが

本当は自分の心を荒ます原因だとは思うこともない

 

見方をゆがめる原因が何であるかも自覚することもない

 

何も学ぼうとせず見えるもので判断するならばの話

 

いろんな学びがあって

いろんな不快な経験があって

またいろんな助けがあっても

行き着くところは良くも悪くもなる

 

そこに環境がどうであるかとか

人間関係がどうであるかとか

自分の健康がどうであるとか

自分の収入と支出のバランスがどうであるかとか

いろんな役割立場でも

環境の変化とともに

自分の幸福感も変わっていく

 

そんなプロセスのなかで

お金に対する考え方も変わるもの

 

少なくとも

お金に対する考え方を

自分の状況に応じて

都合のよい解釈にしないようにしたいものである

 

そのときの自分をメタしよう(俯瞰しよう)

 

「世の中お金じゃない」と心から言える自分ですか

 

それを生涯持ち続けられますか

そのときの感情ではなくより大きく考える

誰もが自分の世界観で

他人との比較しながら

自己重要感を得られるような生き方をする

 

しかも無意識にだ

 

人との比較によって

幸福にも不幸になるというもの

 

人の目、言動や行為

評価、うわさなどを気にしながら

自分の心を安定できるように

 

人が幸福と思ってもらえないものは

あなたは幸福の基準とはなり得ないですか

 

だれもが共感してもらえるものを

自分の幸福にするなら

生涯あなたは幸福を維持できないだろう

 

しかし例えば

あなたが身近な人で

あなたより収入が多い人がいるとするなら

あなたはその人を気にしますか

 

比較しますか

 

そんなことを気にする人は

そんなにいるとは思えない

 

気にする時は

たいてい心に負荷がかかっているとき

しかも自らではなく

その比較という呪縛によるもの

 

収入に限らず

あらゆるものが

無意識(本能)の比較の呪縛によって

幸福を感じるときと

不幸を感じるときがあるだけ

 

そこに意思というものはほとんどない

 

あるのは

感情に従ったものだけであり

内なるトカゲによる作用によるもの

 

感情の奴隷となっている自分に気づこう

 

 

常に天秤となって

そのときにどちらが重いか軽いか

 

 

ぜひ

そのときの幸福や不幸ではなく

より大きく考えてみよう

 

ちなみにアリストテレス

『ニコマコス倫理学』からの一節

「幸福な人は

  時折ではなく人生全体にわたって

  完全な徳に基づいて活動しており

  かつ外的な善を十分に与えられてきた人」だそうだ

 

 

あなたの人生の幸福とは何ですか

 

収入の多さですか

 

認められることですか

 

ほめられることですか

 

贅沢な暮らしができることですか

自分だけでは「よりよく」ならない

自分の人生を幸福にしたいなら

何より「自分をよりよくしていこう」

 

かといって

自分をよりよくするとは

自分一人ではよりよくならない

 

周りを巻き込むことも含まれる

 

周りもよくなろうと日々

課題に取り組んでいるかどうか

 

もちろん

人によって課題も違うし

課題のレベルも違う

 

うまくいかなければ

うまくいくにはどうするか

 

そうなると

人の手を借りなければ

よりよくならないときもくる

 

うまくいっているなら

よりうまくいくためにはどうするか

 

そうなると

今度は自分能力だけや課題だけでは

よりよくならないときもくる

 

そうやって

何より自らやろうとする気持ちが

持続しているかどうか

 

それに加えて

人との関係性のなかでしか

本当の意味で

自分をよりよくできないから

 

言うなれば

後人のために

ずっと道を切り開く人であるかだ

 

もちろん

同じ道を歩むという意味ではない

 

それと

自分の能力を示し続けることでもない

 

環境を

創ることであり

整えることであり

修正することである

 

自分のためにも

 

周りのためにも

 

これ

周りの人も同様

 

つまり

意識のうえで気づいた人が

環境を

創るなり

整えるなり

修正していく

 

環境の変化は

無意識的にも起こりうるから

 

どんな文化(環境)にしていくか

 

仕事、職場においては

専門的になることも必要だが

資格も必要になることもあるだろうが

それだけではうまくいかないときが必ずくる

 

その時

関心の輪を広げて

知識や経験の巾を広げてみることも必要だろう

 

今の自分に理解できること、やり方では解決しないから

うまくいかないということ

 

今の能力を超えているから

そうなっているから

同じことをやって違う結果は求めることはできない

 

だから

よりよき知見やスキルが

必要なら人の手を借りる

 

或いは

周りと一緒になって

全体能力向上するために試行錯誤する

 

しかし

スマートに物事が進むとは限らない

 

自分、周りも感情がある人間だから

 

ロボットではないから

理屈どおりには動かないし

合理的にも考えられないときもある

 

そこに何が必要かは分かることだろう

 

自身が最も欲しい能力

 

それが「人を動かす力」だ

 

といっても

言う通りにするものでも

思い通りに動かすことでもない

 

どうやったら気持ちよく自ら動いてくれるか

(当の本人も含む)

 

チームワークの持続性をもたらすにはどうするか

 

そうなれば

人を管理する必要性もなくなる

 

これをひたすら自分なりに試行錯誤している

 

特に職場という日常で

最も過ごす場所で考えるべきことでもある

 

ひとりで仕事場が成り立つのは稀だろう

 

それでも人間関係で

日々ストレスを溜めながら

仕事をしたくないはず

 

そもそも

今の仕事は幸福を感じているか

 

大半の人生を費やすのに

あまり考えることなく

とりあえずその時の感情で

気分よくやれたり

いやいやながらやったりすることだろう

 

よりよき自分にしてくれる

そんな「仕事観」について考えたことありますか

大きな成果を求めると続かない

薬の効果と同様で

あまり薬を使すぎると効果がなくなる

 

なぜなら耐性ができてしまうから

 

だんだん薬の量をより増やすことになる

 

利きが悪くなる

 

これと同じ

 

成果が思うより出てしまったがゆえに

その基準から同等以上を求めることになる

 

だいたいそんな成果はそうそう続かない

 

もちろん能力があるなら

それなりのプロセス、ステップを踏んでいるなら

成果は続くかもしれない

 

だが

たまたまの大きな成果を後付けのように

都合のよい理由をつけて

自分の能力と勘違いしてしまえば

高すぎる基準ができてしまう

 

その基準より小さければ

喜びもまたやろうとする気持ちも薄れる

 

だから

より量より質を求める自分となってしまう

 

それも人間の行動原理だから

 

より少ない努力でより大きな成果を出せる自分

 

大きな成果を求める続けると

行動力も落ちるし

結局なんだかんだ理由をつけてやらなくなる

 

元の木阿弥

 

小さな変化の量を増やそう

 

プロセスなきものは

脆弱この上ない

 

一気に駆け上がれば

落ちるのも一気にだ

 

階段の数(ステップの数)を増やせば

それだけ転げ落ちる速度も少なくて済む

 

それにプロセスを経れば

心も育つから耐えうる力も備わる

 

要はブレナイ「自分軸」ができてくるから

 

人の目、声を気にしない自分になろう

 

そうならないと

感情に振り回されてしまうから

 

小さな変化はリスクマネジメントでもある

 

よりよい人生に最も必要なことは

あなたの精神性をずっと保ち続けることだから