原始人と現代人の生きる意味の変化

価値観に沿って生きると

なぜ不安感が減るのだろう?

 

ぼんやりとした不安が

将来への心理的距離によって起こるなら

価値観には「未来を今に近づける」

働きがあるのだろうか

 

ここでいったん狩猟採集民の「価値観」について考えてみよう

 

人類学のデータによれば

彼らが生涯にわたって持つ人生の目的は

シンプルにひとことで言えば

「生きる生む育てる」の3つだけ

 

狩りをしながら日々の糧を稼ぎ

部族内のパートナーと子を産み

愛する我が子の成長を死ぬまで見守れば

人生の目的は達成してしまう

 

すべての生物は遺伝子による

産めよ増やせよ地に満ちよ」という

命令に従って行動する

 

その点では人間も例外ではなく

あなたの喜びも悲しみも生きがいも

すべては種の保存のために備わった機能の一つに過ぎない

 

人生に哲学的な目的などあろうはずがなく

それゆえに原始人にとって

人生の意味はいまよりも単純だった

 

ところが

ライフサイクルが複雑化した現代では

「生きる生む育てる」の他にも

様々な行為に価値を見出すようになった

 

「有名になる」

「金持ちになる」

「良い会社に入る」

「好きなことをして生きる」・・・

 

価値観の多様化といえば

聞こえはいいが

定期的に新しいライフスタイルや

人生の意味が提示され続けなければ

どうしても迷いや不安が生まれてくる

 

新しい商品が出て楽しい気分になったものの

どれも選べなくなり

逆にストレスを抱えたようなもの

 

価値観の多様化が問題なのは

あなたの未来像を

ぼんやりとしたものに変えてしまうこと

 

狩猟採集民のように

「生きる生む育てる」だけを目的にすれば

その時点で未来の姿は100%確定し

もはや次の行動に思い悩む必要はなくなる

 

いっぽうで

現代のように選択肢が豊富な社会では

未来の姿はいくつにも分岐をくり返し

決してひとつに定まることがない

 

あいまいな将来はあなたのなかで

明確な像を結ばなくなり

結果として未来との心理的距離は

遠くなっていく

 

これが価値観のブレによって

不安が起こる理由

 

この問題を解決するには

いったん分岐した未来をまとめるしかない

 

自分のコアとなる価値観を見出し

未来を今に近づけていこう

 

著書の引用はここまで

 

あなたは納得できますか

 

不快な状況に陥れば 

理性を使うほとんどは

自己正当化

被害者意識

都合のいいような後付意味付など

 

心を安定させるためには

本能的な反応であるから仕方がない

 

ハッキリ言えば

今自分の理解できることばかりに使うのが普通だろう

 

価値観という言葉でさえ

日常では会話にすらでてこないし

聞くことも聞かれることもないだろう

 

しかし

これだけ人生の質は上がるといわれても

誰もが深く考えない価値観

 

なぜだろう

 

そういう環境でないから

 

教えられてないから

 

学校で学ばないから

 

宗教や哲学を勉強してないから

 

どれが正解かは分からない

 

どれもが正解かもしれないし

どれも違うかもしれない

 

ただ

抽象的なものを考えて

言語化するのは

慣れてなければ

とても苦痛を伴うだろう

 

理性は基本

沸き上がった感情に従ったものに使う

 

「日々楽しいほうがいい」に決まっている

 

「日々やりたいことをやりたい」に決まっている

 

やりたくないものはやりたくないに決まっている

 

感情のままに生きれば

その時はいいかもしれないが

その価値観が持続可能性をもたらせているか

それで未来が開けるか

未来のことが今に近づけることが可能か

 

そのときは考えられなくても

冷静になったとき振り返ってみよう

 

しかし

そこに価値観は何かを考えさせない 

今という絶大的な存在は感情で動かされるのが

日々の判断材料

 

あなたにとって生きる意味

 

何より大切にしたい「価値観」はなんだろうか・・・