コンフォートゾーンから一歩出てみよう

人がどのような行動(反応)をとるかは

それぞれの人が持っている

 

誰にも今のメンタルに合った

無自覚なスレッショルド(閾値)がある

 

それを超えない範囲で行動する

 

いわゆる

コンフォートゾーン(安心領域)

 

先天的なものから

後天的なもの

 

それにずっと歩んできた環境や

人との出会い(縁)

 

それによって培われてきた

思考習慣や行動習慣のパターンが決まってくる

 

そんなコンフォートゾーンの中で

自分自身を守り抜いていることは

理解できることだと思う

 

人は

自らのコンフォートゾーンにいる限り

オープンな考え方や行動をすることは期待できるが

一歩でもコンフォートゾーンの外に出ると

二の足を踏んだり

抵抗を示すようになる

 

つまり

快楽主義に照らせば

できるだけ痛みを避けるようになる

 

しかし

そもそもコンフォートゾーンとは

いったい何だろうか

 

普通に考えれば

コンフォートゾーンとは

自分の支配力が及ぶと感じている範囲

或いは

少なくとも十分な影響力を

及ぼすことのできる範囲ということになる

 

コンフォートゾーンの中にいれば

自らのオペレーションに関する限りにおいは

動きがスムーズにできる

 

しかし

その領域から一歩飛び出してしまうと

ためらいの兆候が現れる(不快な感情)

 

何かとやらない、できない

理由を見つけては

動かないことの正当化が始まる

 

それが無意識の領域で行われる

      

自覚がない(認識していない)から

さもそれが当たり前のような感覚

 

それが他の人も同様に

一歩飛び出す行為なら共感してしまう

 

未知の世界の恐怖を感じることは

防衛本能なので

当然そういう考えや行動となる

 

つまり

コンフォートゾーンとは

自分が原因と結果に関して

十分な知識を有している領域

または

ある行動に対してどのような結果が

予測されるのか十分な知識を有している領域となる

 

要は知識不足では

不安や恐怖、失敗が先に頭によぎるので

行動に移せない 

 

知らないから行動できない

 

たいていは

失敗やリスクは嫌うのが人間の心理

 

だから

心のどこかでコンフォートゾーン内で

すべての物ごとがうまくいくことを願う

 

つまり

トレードオフの関係にある

エゴ&ゴールを望んでいる

 

今のままどおりのやり方で

物事がより良い方向に向かうことを

 

でも

よくならないことは

心のどこかで誰もが分かっている 

 

そこに経験があるか

経験があっても

培った行動パターンと違うことなら

抵抗という名の妥協をしたがる

 

そんなことしても意味がない

 

そんなことをしたら危ない

 

など

 

人を動かすときに必要なことの一つとして

出発点を妥協しないことだ

 

本来は

人に動いてもらいたいなら

いかに自分の考えを

伝えたらいいか

周到に考えてから行動すること

 

ここを妥協することが多い

 

感覚的に伝えたり

 

自分視点がすべてだと思い

或いは

自分視点と同じ視点を持っていると思い

安易に伝えてしまう

 

変化することに

抵抗されることは

拒絶反応は日常茶飯事のこと

 

正論だったとしても

すぐに全面的に支持されることを

期待しないこと

 

大事なことは

従来のやり方、考え方が

もしかしたら間違いであるのではないか

提案された変化のほうが

よりよいものになるかもしれないと

オープンマインドな状態で

聴く耳を持たせるようにすること

 

それが

その場の環境であり

空気であり文化である

 

そして

今まで培ってきた行為の信頼度の高さの証明する場でもある